冒頭 余杭(よこう)とは、江東の戦乱期における地名で、作中では浙江省の杭州にあたる土地として示されます。 概要 孫策が会稽方面へ勢力を伸ばし、王朗の軍が崩れたのち、呉郡一帯で自立していた厳白虎が敗走する途上の行先とし...
冒頭 海隅(かいぐう)とは、海に面した国土のはし、あるいは沿海の辺境地帯を指す語で、吉川英治『三国志』では地名的に「浙江省の南隅」と注される沿海地方として用いられる語です。 概要 「隅」は角・端を意味し、「海隅」は内...
冒頭 査涜(さとく)とは、会稽郡の周辺にある地名です。会稽攻略の局面で、城中の貯えとは別に金銀・兵糧が秘匿されている地点として示され、軍事行動の要点となります。 概要 吉川英治『三国志』では、会稽城を守る王朗に対し、...
冒頭 周昕(しゅうきん)とは、会稽の太守・王朗の旗下にあって孫策軍と戦った武将です。 生涯 作中では、孫策が会稽城を攻める戦いの中で名が見え、王朗が自ら戦塵の中を駆けて孫策に挑む局面で、王朗軍の一将として出陣していま...
冒頭 仲翔(ちゅうしょう)とは、江東に出た学識ある士人で、会稽の太守・王朗に仕えたのち追放され、のちに孫策の政権に招かれて用いられる人物です。 生涯 会稽で王朗に属したが、厳白虎との連携に固執する王朗に対し、厳白虎を...
冒頭 厳白虎(げんぱくこ)とは、江東の呉郡一帯で勢力を張り、自ら「東呉の徳王」と称した地方雄です。孫策の江東平定戦における主要な抵抗勢力として位置づけられます。 生涯 孫策の南進を聞くと動揺し、弟の厳与を楓橋へ出して...
冒頭 朱治(しゅち)とは、孫堅の旧臣として孫策・孫権の時代まで江東政権を支えた家臣で、字は君理(くんり)です。孫策が失地回復の志に沈む場で近侍として言葉を掛け、のち江東経営の要職にも就きます。 生涯 孫堅配下の一人と...
冒頭 黄口児(こうこうじ)とは、年少で経験が浅い者を、侮って呼ぶ語です。乳児の口もとが黄みを帯びることから「黄口」といい、そこに「児」を添えて幼さを強調します。 概要 本来は「幼い子」の意ですが、三国志の作中では、多...
冒頭 呉郡(ごぐん)とは、後漢末から三国期にかけて揚子江下流の江東地方に置かれた郡で、孫氏勢力が南方を押さえるうえで中核となった行政区画です。 概要 吉川英治『三国志』では、呉郡は孫策が江東平定を進める過程で重要地点...
冒頭 籠城戦(ろうじょうせん)とは、城壁や濠などの防御施設を利用し、守備側が城内に兵と物資を集めて城門を閉じ、外から攻め寄せる敵軍を防ぎつつ持久を図る戦い方です。吉川英治『三国志』では「城を堅固に守るが第一」「出て戦ってはなら...
冒頭 孫亮(そんりょう)とは、呉の皇帝・孫権の子で、幼少で帝位についた呉の君主です。孫権の皇帝即位に伴い、嫡子の孫登が皇太子とされ、その輔育に諸葛瑾の子・諸葛恪が太子左輔に任じられるなど、呉の後継体制が整えられていく流れの延長...
一 ひとまず、江東も平定した。 軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上がったといってよい。 「ここが大事だ。ここで自分はなにをなすべきだろうか?」 孫策は自問自...
一 「袁術先生、予のてがみを読んで、どんな顔をしたろう」 淮南の使いを追い返したあとで、孫策はひとりおかしがっていた。 しかし、また一方、 「かならず怒り立って、攻め襲うて来るにちがいない」 とも思われたので、...
一 思いがけぬ孔明の言葉に、老将黄忠の忿懣はやるかたなく、色をなして孔明に迫るのだった。 「昔、廉頗は年八十に及んで、なお米一斗、肉十斤を食い、天下の諸侯、これをおそれ、あえて趙の国境を犯さなかったといいます。まして私は、未だ...
一 長江千里、夜が明けても日が暮れても、江岸の風景は何の変化もない。水は黄色く、ただ滔々淙々と舷を洗う音のみ耳につく。 船は夜昼なく、呉の北端、柴桑郡をさして下っている。――その途中、魯粛はひそかにこう考えた。 「痩せて...
一 呉を興した英主孫策を失って、呉は一たん喪色の底に沈んだが、そのため却って、若い孫権を中心に輔佐の人材があつまり、国防内政ともに、いちじるしく強化された。 国策の大方針として、まず河北の袁紹とは絶縁することになった。 ...
一 呉は大きな宿望の一つをここに遂げた。荊州を版図に加えることは実に劉表が亡んで以来の積年の望みだった。孫権の満悦、呉軍全体の得意、思うべしである。 陸口の陸遜も、やがて祝賀をのべにこれへ来た。その折、列座の中で呂蒙は、 ...
一 眼を転じて、南方を見よう。 呉は、その後、どういう推移と発展をとげていたろうか。 ここ数年を見較べるに―― 曹操は、北方攻略という大事業をなしとげている。 玄徳のほうは、それに反して、逆境また逆境だった...