冒頭 山陽公(さんようこう)とは、後漢最後の皇帝である献帝が、曹丕への禅譲後に魏から与えられた爵位で、天子から諸侯へと身分を改められた称号です。 概要 吉川英治『三国志』では、受禅台で献帝が帝位を「魏王に禅る」という...
冒頭 大魏(たいぎ)とは、曹丕が後漢の献帝から禅譲を受けて皇帝に即いたのち、「以後国名を大魏と号す」と宣して立てた国家の呼称です。 概要 大魏は、曹操が魏王として築いた政権基盤を継承し、曹丕が皇帝号を得たことで国家と...
冒頭 現皇帝(げんこうてい)とは、その時点で帝位にある君主を指す呼び名です。同義の敬称として今上(きんじょう)が用いられ、臣下が直接の諱や追号を避けて奏上・言及する際の表現となります。魏帝の使者が献帝に対して「今上の仁慈」と述...
冒頭 天子(てんし)とは、天の命を受けて天下を治めるとされた君主、すなわち皇帝の称号です。吉川英治『三国志』では主として後漢の皇帝を指し、献帝が「天子の位」に立てられることや、禁門に掲げられる「天子」の威光が軍勢の行動を制する...
献帝(けんてい)とは 後漢の最後の皇帝、名は劉協(りゅうきょう)。霊帝の子として生まれ、在位は189年から220年まで。形式的には皇帝でありながら、実権を握れず群雄に翻弄された悲劇の君主である。 生涯 幼くして父・霊...
劉協(りゅうきょう)とは 劉協は、後漢の皇子で、後に献帝(けんてい)として即位した後漢最後の皇帝である。霊帝の子で、少帝劉弁の異母弟にあたる。 生涯 劉協は霊帝の皇子として生まれ、母は霊思皇后(王美人ではない)。聡明...
一 魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。 また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。 沿...