劉協

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劉協(りゅうきょう)とは
劉協は、後漢の皇子で、後に献帝(けんてい)として即位した後漢最後の皇帝である。霊帝の子で、少帝劉弁の異母弟にあたる。
 
生涯
劉協は霊帝の皇子として生まれ、母は霊思皇后(王美人ではない)。聡明で才気があったと伝わる。
189年、霊帝が崩御すると兄の劉弁が即位したが、董卓が実権を握ると劉弁を廃し、劉協を新たに皇帝に立てた。これが献帝である。
 
献帝の在位は189年から220年まで31年間に及ぶが、実権は常に群雄の手中にあった。董卓李傕郭汜らの軍閥に翻弄され、やがて曹操に迎え入れられる。曹操は「挟天子以令諸侯(天子を奉じて諸侯を制す)」という大義名分を掲げ、劉協を許昌に移し、自らの権力を強化した。
220年、曹操の死後、曹丕が劉協に禅譲を迫り、これにより後漢は滅亡し魏が建国された。劉協は「山陽公」に封じられ、その後は平穏に暮らし、234年に没した。
 
人物
劉協は聡明であったとされるが、常に権臣や軍閥の掌中にあり、自ら政治を行うことはほとんどできなかった。悲劇の皇帝、傀儡の皇帝として後世に語られる。
正史『三国志』でも、彼の政治的実績は乏しく、乱世に翻弄された象徴として記録される。
 
関連する人物
霊帝(父)
劉弁(兄。少帝。董卓に廃され殺害された)
何皇后(皇太后として権力を握ったが、董卓により失脚)
董卓(劉協を擁立し、朝廷を掌握)
曹操(劉協を奉じて権力基盤を強化した)
曹丕(劉協から禅譲を受け魏を建国した)
 
有名なエピソード
董卓による擁立と、廃帝の兄劉弁との入れ替わり
・「衣帯詔」を密かに発して曹操討伐を画策したと伝わる逸話
後漢最後の皇帝として、魏への禅譲により王朝の命脈を閉じたこと
 
吉川英治三国志での扱われ方
吉川英治三国志』では、幼くして皇位についた劉協が、董卓曹操に操られ、常に時代の荒波に翻弄される姿が描かれる。物語的には、後漢王朝の滅亡を象徴する存在として描かれ、悲劇性が強調されている。
「劉協」の基本情報
総登場回数
6回
活動期間
1巻にわたって登場
初回登場
桃園の巻
最終登場
桃園の巻
最も活躍した巻
桃園の巻 (6回登場)
「劉協」登場回数
合計: 6回
0 1 3 4 6 6 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
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