冒頭 繁陽(はんよう)とは、魏が禅譲の大典を行うための高台受禅台を築いた地名です。 概要 作中では、魏王曹丕が漢の献帝から帝位を譲り受ける儀式に先だち、受禅台の造営地として繁陽が選ばれます。受禅台は三重の高台として完...
冒頭 華陰県(かいんけん)とは、後漢末の関中から洛陽方面へ向かう街道筋にある県で、帝の行幸路や軍勢の往来に現れる地名です。帝が長安を出て弘農へ還幸する途中、「御車が華陰県をすぐる頃」に追兵の喊声が迫り、郭汜の兵馬が追撃してくる...
冒頭 董卓誅殺(とうたくちゅうさつ)とは、後漢末に専横した董卓が、王允らの計画と呂布らの実行によって宮廷近くで殺害された事件です。呂布は「勅命によって逆賊董卓を討つ」と称して董卓を斬り、董卓の首は李粛が打ち落して掲げられたとさ...
冒頭 受禅台(じゅぜんだい)とは、天子が皇位を「禅る」儀式を行うために築かせた高台です。吉川英治『三国志』では、漢から魏への帝位移行を形式化する装置として位置づけられます。 概要 作中で賈詡は、曹氏が帝位を奪ったとの...
冒頭 御林軍(ぎょりんぐん)とは、皇帝の居所である禁中や宮城の門を警備し、非常時には宮廷内の実力部隊として動員される近衛兵のことです。作中では「御林軍(近衛兵)」として明記され、袁紹が五千を率いて禁門を固めた例が示されます ...
冒頭 皇城(こうじょう)とは、天子の宮殿や官庁の中枢を囲む城郭と、その内側の区域を指す呼び名です。都城全体の城壁とは区別され、政務と儀礼の中心として衛兵や門による警固が重視されました。 概要 皇城は、宮城や禁中をふく...
冒頭 近衛兵(こんえいへい)とは、皇帝や宮城を護衛し、禁門や内裏の警備、儀仗、政変時の実力行使などを担う親衛の兵です。吉川英治『三国志』では「御林軍(近衛兵)」として示され、宮廷の武力基盤として描かれます。 概要 近...
冒頭 御林(ぎょりん)とは、皇帝の居所である宮城や禁門を守衛し、必要に応じて政変時の実力部隊ともなる近衛兵力を指す呼称です。吉川英治『三国志』では「御林の近衛兵」「御林軍(近衛兵)」として用いられます。 概要 御林は...
冒頭 向寵(しょうちょう)とは、蜀漢に仕え、宮中の禁軍にあたる御林軍を統率した武将です。諸葛亮が北伐で成都を留守にするに際し、御林軍の司として「近衛大将」に任じられ、後主劉禅の身辺警護と宮城の守備を託された人物として描かれます...
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
一 「呉の孫堅が討たれた」 耳から耳へ。 やがて長安(陝西省・西安)の都へその報は旋風のように聞えてきた。 董卓は、手を打って、 「わが病の一つは、これで除かれたというものだ。彼の嫡男孫策はまだ幼年だし……」 ...
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
一 漢中の境を防ぐため、大軍を送りだした後も、曹操は何となく、安からぬものを抱いていた。 管輅の予言に。――明春早々、都のうちに、火の災いあらん――とあるそのことだった。 「都というからには、もちろん、この鄴都ではあるま...
一 馬謖は云った。 「なぜか、司馬懿仲達という者は、あの才略を抱いて、久しく魏に仕えながら、魏では重く用いられていません。彼が曹操に侍いて、その図書寮に勤めていたのは、弱冠二十歳前後のことだと聞いています。曹操、曹丕、曹叡、三...
一 街は戸ごとに燈火をつらね、諸門の陣々も篝に染まり、人の寄るところ、家のあるところ、五彩の燈にいろどられているため、こよい正月十五日の夜、天上一輪の月は、なおさら美しく見えた。 王必の営中では、宵の口から酒宴がひらかれ、将...
一 味方の大捷に、曹操をはじめ、十八ヵ国の諸侯は本陣に雲集して、よろこびを動揺めかせていた。 そのうちに、討取った敵の首級何万を検し大坑へ葬った。 「この何万の首のうちに、一つの呂布の首がないのだけは、遺憾だな」 ...
一 「なに、無条件で和睦せよと。ばかをいい給え」 郭汜は、耳もかさない。 それのみか、不意に、兵に令を下して、楊彪について来た大臣以下宮人など、六十余人の者を一からげに縛ってしまった。 「これは乱暴だ。和議の媒介に参...
一 百官の拝礼が終って、 「新帝万歳」の声が、喪の禁苑をゆるがすと共に、御林軍(近衛兵)を指揮する袁紹は、 「次には、陰謀の首魁蹇碩を血まつりにあげん」 と、剣を抜いて宣言した。 そしてみずから宮中を捜しまわっ...