御林
冒頭
概要
御林は、都城の中枢を警備する兵で、宮門・市街の戒厳、皇帝・皇后の身辺警護、宮中への出入りの統制などを任務とします。作中では、袁紹が洛陽で「御林の近衛兵五千」を率いて禁門に入り、城門を閉じて戒厳を布く場面があり、宮城防衛と政局操作の双方に関わる部隊として位置づけられています。
意味
作中での用法
蜀でも「御林軍の司」として近衛大将を置き、留守の宮廷守備を託すなど、王朝運営の常設機構として扱われます。
史実との違い
縄目も、ただの縄をかけたのでは、ぷつぷつ断ってしまうし、暴れる、吠える、ほとんど手がつけられない。で革紐をもってきびしく縛め、屈強な力士が十重二十重に囲んでこれを孔明の本陣まで引っ立てて行ったが、陣内へ押し込むときも一暴れして、三、四人の兵が蹴殺されたほどだった。 しかし、営中まで引きずってくると、御林の旗幡は整々と並び、氷雪をあざむく戟や鎗は凛々と篝火に映え、威厳森々たるものがあるので、さすがの蛮王も身をすくめてただ爛たる眼ばかりキョロキョロうごかしていた。二。 営内の裏には、さきに俘虜...
「行けっ」と、号令した。 この一声に洛陽の王府は一転戦雲の天と修羅の地になったのである。 袁紹は、たちまち鉄甲に身を鎧い、御林の近衛兵五千をひっさげて、内裏まで押通った。王城の八門、市中の衛門のこらず閉じて戒厳令を布き、入るも出ずるも味方以外は断乎として一人も通すなと命じた。 その間に。
一。 百官の拝礼が終って、 。「新帝万歳」の声が、喪の禁苑をゆるがすと共に、御林軍(近衛兵)を指揮する袁紹は、 。「次には、陰謀の首魁蹇碩を血まつりにあげん」 。 と、剣を抜いて宣言した。
年若い女子の悲鳴が、その間に、陰々と、人目のない所から聞えてきたり、また公然と、さらわれて行ったり、眼もあてられない有様だった。 また、発令の翌日。 御林軍の将校たちは、流民が他国へ移るを防ぐために、強制的に兵力でこれを一ヵ所にまとめ、百姓の家族たちを五千、七千と一団にして、長安のほうへ送った。 乳のみ児を抱えた女房や、老人、病人を負った者や、なけなしの襤褸だの貧しい家財を担って子の手をひいてゆく者だの――明日知れぬ運命へ駆り立てられながら、山羊の群れの如く真っ黒に追われて歩く流民の姿は、実...
位は人臣をきわめてなおあきたらず、太政太師と称していたが、近頃は自ら尚父とも号していた。 天子の儀仗さえ、尚父の出入の耀かしさには、見劣りがされた。 弟の董旻に、御林軍の兵権を統べさせ、兄の子の董璜を侍中として、宮中の枢機にすえてある。 みな彼の手足であり、眼であり、耳であった。 そのほか、彼につながる一門の長幼縁者は端にいたるまで、みな金紫の栄爵にあずかって、わが世の春に酔っていた。
「おうっ」 。「わあっ」 。 馳け集まった御林軍の勇兵百余人が、車を顛覆えして、董卓を中からひきずり出し、 。「賊魁ッ」 。「この大奸」 。
弘農は、旧都に近い。御意はたちまち決った。 折しも、秋の半ば、帝と皇后の輦は長い戟を揃えた御林軍の残兵に守られて、長安の廃墟を後に、曠茫たる山野の空へと行幸せられた。四。 行けども行けども満目の曠野である。