董卓誅殺
冒頭
董卓誅殺(とうたくちゅうさつ)とは、後漢末に専横した董卓が、王允らの計画と呂布らの実行によって宮廷近くで殺害された事件です。呂布は「勅命によって逆賊董卓を討つ」と称して董卓を斬り、董卓の首は李粛が打ち落して掲げられたとされます。
概要
吉川三国志では、王允が黄琬・孫瑞らと謀り、偽詔を用いて董卓を参内させ、禁門に伏せた兵で囲んで誅戮する筋立てが示されます。 実行段階では、董卓が禁廷へ進んだところを王允らが抜剣して迎え、御林軍が車を顛覆させて引きずり出し、最終的に呂布が致命傷を与えたと叙述されます。
経過と影響
董卓の死後、長安ではその死骸が市に曝され、民衆が集まったこと、また董卓の近親(董旻・董璜)も処刑されたことが記されます。 さらに郿塢では、董卓の一族が老幼を問わず誅殺され、金銀や財物、米粟などの没収が行われたとされます。
関連人物
史実との違い