劉虞

劉虞(りゅうぐ)とは
劉虞は、後漢末期の名士で、幽州牧として知られる人物。名門の出で、清廉で温厚な人柄によって北方の民に慕われたが、群雄割拠の中で悲劇的な最期を遂げた。
 
生涯
劉虞は後漢宗室の一員で、若くしてその人徳を評価され仕官した。宦官や外戚が権力を握る乱世の中でも清廉な姿勢を崩さず、やがて幽州牧に任じられた。
幽州北方異民族との境界地であり、動乱の激しい地域であったが、劉虞は仁政を敷いて民心を安定させ、北方諸族との融和にも尽力した。これにより、民衆から「劉公」として敬愛された。
 
しかし、黄巾の乱や各地の反乱の影響は幽州にも及び、劉虞は討伐に奔走した。董卓洛陽で専横を振るうと、群雄の一部は劉虞を擁立して新たな皇帝に立てようとしたが、劉虞本人は固辞した。
やがて同じ幽州出身の公孫瓚が勢力を拡大し、劉虞と対立。最終的に公孫瓚に捕らえられ、殺害された。
 
人物
劉虞は温厚で謙虚、仁徳を重んじる人物であったと伝わる。権力欲に乏しく、民を第一に考える姿勢は多くの士人に支持された。しかし、動乱の時代には逆にその温和さが災いし、権謀術数に長けた群雄に圧されることとなった。
 
関連する人物
董卓(劉虞を皇帝に擁立しようとする声があった)
公孫瓚(同郷の群雄で、劉虞を殺害した)
劉備(劉虞の仁政を慕い、幽州での勢力拡大に影響を受けた)
 
有名なエピソード
幽州牧として北方の異民族を懐柔し、辺境を安定させたこと
董卓の専横に反対する群雄の中から皇帝に推戴されそうになったが、固辞したこと
・最後は公孫瓚に捕らえられ、忠義を尽くして殺害されたこと
 
吉川英治三国志での扱われ方
吉川英治三国志』では、劉虞は北方の仁君として描かれる。野心を持たず、正統を重んじ、民に慕われるが、動乱の中で非情な公孫瓚に討たれる姿は「仁者必ずしも善終せず」の典型として描かれ、物語に深い哀愁を与えている。
「劉虞」の基本情報
総登場回数
5回
活動期間
1巻にわたって登場
初回登場
桃園の巻
最終登場
桃園の巻
最も活躍した巻
桃園の巻 (5回登場)
「劉虞」登場回数
合計: 5回
0 1 2 3 5 5 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
Last updated 3日 ago