屯田制
冒頭
概要
吉川英治『三国志』では、曹操政権の内政として、許都を中心に「屯田策」を採用し、地方の良民に加えて人望ある戸長を用い、各州郡に田官を置いて単位を組織し、農耕を奨励した結果、戦乱下でも五穀の増産が進んだと説明されます。
意味
屯田は、軍事と経済を結びつける施策であり、兵站の安定、流民の収容と治安の回復、耕地の再生を同時に狙う点に特色があります。作中でも、許都が軍事・経済の両面で充実していく背景として、屯田策が言及されます。
運用と規律
同作では蜀の諸葛亮も、占領地の宣撫と食糧問題の解決として屯田兵制度を整え、兵に耕作と放牧をさせています。屯田兵は魏の百姓に交じって援助することを原則とし、収穫は百姓が三分の二、軍が三分の一とする規則が示され、さらに百姓への苛酷、私権の横行、軍農の不和を招く者を処断する三条が掲げられます。
関連人物
史実との違い