荀彧

荀彧(じゅん いく)とは
荀彧は後漢末の政治家・軍師で、曹操の参謀として魏の基盤を支えた人物。字は文若(ぶんじゃく)。「王佐の才」と称され、曹操の覇業における最大の功臣の一人とされる。
 
生涯
荀彧は潁川の名門・荀氏の出身。若い頃から「王佐の才」と評され、曹操に仕えることを選んだ。曹操がまだ地方の一武将に過ぎなかった時代に、天下を託す相手として見抜き、自ら従った。
曹操の下では主に内政と人材登用を担当し、「唯才是挙」の方針を実際に推し進め、多くの逸材を推薦した。荀攸郭嘉程昱鍾繇などが彼の推挙による。
196年に献帝を許へ迎える策を立てたのも荀彧であり、これにより曹操は「挟天子以令諸侯」の体制を築くことに成功した。以後も曹操の幕僚として長く仕え、魏の国家基盤の整備に尽力した。
しかし晩年、曹操が魏王として皇帝に近い振る舞いを見せ始めると、漢室の正統を重んじていた荀彧はそれに反対し、やがて失意のうちに病没した(210年)。その最期は、曹操の意に逆らったために死を強いられたとも伝えられている。
 
人物
荀彧は冷静沈着で知略に優れた人物であり、政治的バランス感覚に優れていた。また謙虚で清廉な人柄で、人材登用に際しても私情を挟まず、公平であったとされる。
一方で理想主義的な性格でもあり、曹操の現実主義と対立する面が晩年に現れた。
 
関連する人物
曹操(主君として仕え、その覇業を支えた)
荀攸(従弟であり、ともに曹操を支えた)
郭嘉程昱(荀彧の推挙で仕えた参謀たち)
献帝(漢室を尊重し、彼の存在を軸に政権を維持しようとした)
 
有名なエピソード
曹操がまだ小勢力だった時期に見抜いて仕えた慧眼
献帝を許に迎える策を立て、曹操を天下の中心に押し上げた
・「王佐の才」と称され、魏の宰相格として重きをなした
曹操の魏王就任に反対し、理想と現実の狭間で失意の死を遂げた
 
吉川英治三国志での扱われ方と史実との違い
吉川英治三国志』では、荀彧は理想を重んじる名士として描かれ、曹操にとって良心的存在となっている。曹操が皇帝に近づく姿勢に対し、心を痛めつつも諫言する姿が強調される。
史実でも漢室を尊重し続けた点は同じだが、小説ではより劇的に「曹操の野望と理想の対立」を象徴する人物として脚色されている。
「荀彧」の基本情報
総登場回数
94回
活動期間
7巻にわたって登場
初回登場
群星の巻
最終登場
図南の巻
最も活躍した巻
臣道の巻 (43回登場)
「荀彧」登場回数
合計: 94回
0 10 21 32 43 0 桃園の巻 4 群星の巻 21 草莽の巻 43 臣道の巻 9 孔明の巻 5 赤壁の巻 2 望蜀の巻 10 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
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