髀肉の嘆
冒頭
髀肉の嘆(ひにくのたん)とは、志を果たす機会を得られず、徒らに日を過ごして武功も立てられない境遇を、太腿の肉が増えることにたとえて嘆く言い回しです。
概要
「髀肉」は髀、すなわち太腿の肉を指し、長く鞍にまたがらず奔走しないうちに肉がついた、という身体感覚を手掛かりに「自分は長らく用いられていない」という焦燥や屈託を表します。武人にとっては、戦場に出て功を立てることが立身の基盤であったため、この嘆きは個人の不遇のみならず、主君や国家に奉じる機会を失う歯がゆさも含意します。
意味
用法としては、閑職に置かれる、守備に縛られて決戦の機会がない、あるいは体裁のよい地位に収まって実戦から遠ざかる、といった状況で用いられます。吉川英治『三国志』では、張飛が「僻地に埋もれて、髀肉を嘆じていた」と述べられ、流転と不遇ののちに大敵を前にして機会を得た文脈に置かれています 。また張飛について「このところ髀肉の嘆にたえない」として、主君の側に控えるばかりの状態から出陣を強く求める背景にも使われます 。さらに魏の夏侯淵が、守備を続けて「一度も会心の勝負をなさず、髀肉の嘆をかこち」たと述べ、前線での戦機を渇望する心情を表す例も見られます 。
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