三顧の礼
別名
三顧
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冒頭
三顧の礼(さんこのれい)とは、目上の者が賢人を迎えるため、同じ相手のもとへ三度おもむいて礼を尽くすことを指す言葉です。吉川英治『三国志』では、劉備玄徳が諸葛亮孔明を迎えるにあたり「三顧の礼を尽す」として語られます。
概要
この語は、劉備が在野の人材である孔明を得ようとして、臥龍岡の廬をたびたび訪ね、形式的な使者派遣ではなく自ら出向く態度によって誠意を示す、という文脈で用いられます。作中では張飛がこれを「一人の農夫に対して、三顧の礼を尽す」ことだとして反発し、劉備が賢人を敬う古例を引いて諭す場面があります。
意味
三顧は「三たび顧みる」、礼は「礼節をもって遇する」意で、相手の地位や現在の境遇にかかわらず、才徳を重んじてへりくだり、招聘の誠を重ねて示す態度をいう語です。作中でも、孔明を「縛しあげて」連れてくれば足りるという発想が退けられ、礼を欠けば招聘の意義が失われるとされます。
関連人物
劉備玄徳は孔明を迎える主体として、張飛の無礼な放言を戒め、礼を尽くして訪ねる姿勢を保ちます。 張飛は、実利や武力に偏した観点から三顧の礼そのものを疑い、対照的な立場を示します。 孔明は対象となる賢人として、劉備側の礼遇が問題となる中心に置かれます。
史実との違い