陳矯
冒頭
生涯
吉川英治の三国志では、曹仁の幕僚として「長史|陳矯」として登場し、城を預かる主将の軽挙を諫める役を担います。 また、荊州をめぐる情勢では「荊州の城にいた魏の長史|陳矯」が孔明に先んじて捕えられ、兵符を帯びていたため軍の統制に影響が出る、と語られます。
政権中枢では、尚書令として陳群らとともに受禅を推進する連署の一員となり、魏が漢に代わる動きに連なる官僚として描かれます。 さらに曹操薨去後、兵部尚書として、勅命を待たず太子を即位させて国の空白を避けるべきだと強硬に主張し、反対者があれば名乗れと迫ります。
人物像
軍中では命令・託宣の趣旨を盾に主将を制しようとする諫言役として、また政争の場では優柔不断を排して迅速な決断を迫る官僚として位置づけられます。
関係人物
曹仁に対しては長史として補佐し、出撃の是非をめぐって諫止します。 魏の朝廷では陳群らと並び、受禅推進の「宗徒」の中心官僚として言及されます。 曹操薨去後は太子(のちの曹丕)をめぐる継承局面で前面に出ます。
有名なエピソード
有名なセリフ
「国に一日の主なきもゆるさず。」
「もしまた、それを不可とし、阻め奉らん意志を抱く者があるなら、すすんでわが前にその名を名乗り給え」
史実との違い
吉川三国志では、受禅推進の連署や継承断行の場面など、政権中枢の象徴的な局面で発言力の強い官僚として焦点化される一方、史実・演義での経歴の細部や前後の官歴は簡略化されています。
「陳矯」の基本情報
総登場回数
9回
活動期間
3巻にわたって登場
初回登場
草莽の巻
最終登場
出師の巻
最も活躍した巻
望蜀の巻
(6回登場)