一 近年、漢中(陝西省・漢中)の土民のあいだを、一種の道教が風靡していた。 五斗米教。 仮にこう称んでおこう。その宗教へ入るには、信徒になるしるしとして、米五斗を持てゆくことが掟になっているからである。 「わしの家...
一 牛渚(安徽省)は揚子江に接して後ろには山岳を負い、長江の鉄門といわれる要害の地だった。 「――孫堅の子孫策が、南下して攻めて来る!」 と、聞え渡ると、劉繇は評議をひらいて、さっそく牛渚の砦へ、兵糧何十万石を送りつけ、...
一 「袁術先生、予のてがみを読んで、どんな顔をしたろう」 淮南の使いを追い返したあとで、孫策はひとりおかしがっていた。 しかし、また一方、 「かならず怒り立って、攻め襲うて来るにちがいない」 とも思われたので、...
一 江南江東八十一州は、今や、時代の人、孫策の治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃、文化は溌剌と清新を呈してきて、 小覇王孫郎 の位置は、確固たるものになった。 諸将を分けて、各地の要害を守らせる一方、ひろ...
一 すでに国なく、王宮もなく、行くに的もない孟獲は、悄然として、 「どこに落着いて、再挙を図ろうか」と、周囲の者に諮った。 彼の妻の弟、帯来がいった。 「ここから東南の方、七百里に、一つの国がある。烏戈国といって、国...
一 都門をさること幾千里。曹操の胸には、たえず留守の都を憶う不安があった。 西涼の馬超、韓遂の徒が、虚をついて、蜂起したと聞いたせつな、彼は一も二もなく 「たれか予に代って、許都へ帰り、都府を守る者はないか。風聞はまだ風...
一 街亭の大捷は、魏の強大をいよいよ誇らしめた。魏の国内では、その頃戦捷気分に拍車をかけて、 「この際、蜀へ攻め入って、禍根を断て」 という輿論さえ興ったほどである。司馬懿仲達は、帝がそれにうごかされんことをおそれて、 ...
一 自国の苦しいときは敵国もまた自国と同じ程度に、或いはより以上、苦しい局面にあるという観察は、たいがいな場合まず過りのないものである。 その前後、魏都洛陽は、蜀軍の内容よりは、もっと深刻な危局に立っていた。 それは、...
一 閑話休題―― 千七百年前の支那にも今日の中国が見られ、現代の中国にも三国時代の支那がしばしば眺められる。 戦乱は古今を通じて、支那歴史をつらぬく黄河の流れであり長江の波濤である。何の宿命かこの国の大陸には数千年のあ...
一 孔明の使命はまず成功したといってよい。呉の出師は思いどおり実現された。孔明はあらためて孫権に暇を告げ、その日、すこし遅れて一艘の軍船に身を託していた。 同舟の人々は、みな前線におもむく将士である。中に、程普、魯粛の二将も...
一 魏の勢力が、全面的に後退したあとは、当然、玄徳の蜀軍が、この地方を風靡した。 上庸も陥ち、金城も降った。 申耽、申儀などという旧漢中の豪将たちも、 「いまは誰のために戦わん」といって、みな蜀軍の麾下へ、降人とな...
一 「この大機会を逸してどうしましょうぞ」 という魯粛の諫めに励まされて、周瑜もにわかにふるい起ち、 「まず、甘寧を呼べ」と令し、営中の参謀部は、俄然、活気を呈した。 「甘寧にござりますが」 「おお、来たか」 ...
一 「ここに一計がないでもありません」 と、孔明は声をはばかって、ささやいた。 「国主の劉表は病重く、近頃の容態はどうやら危篤のようです。これは天が君に幸いするものでなくてなんでしょう。よろしく荊州を借りて、万策をお計りあ...
一 孫高、傅嬰の二人は、その夜すぐ兵五十人をつれて、戴員の邸を襲い、 「仇の片割れ」と、その首を取って主君の夫人徐氏へ献じた。 徐氏はすぐ喪服をかぶって、亡夫の霊を祭り、嬀覧、戴員二つの首を供えて、 「お怨みをはらし...
一 柴桑城の大堂には、暁天、早くも文武の諸将が整列して、呉主孫権の出座を迎えていた。 夜来、幾度か早馬があって、鄱陽湖の周瑜は、未明に自邸を立ち、早朝登城して、今日の大評議に臨むであろうと、前触れがきているからである。 ...
一 いま漢中は掌のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向って旺であったことはいうまでもない。 いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然とわいてくるにおいてはである。 「漢中の守りは、張郃、夏侯淵の両名で事...
一 ここが大事だ! と龐統はひそかに警戒した。まんまと詐りおおせたと心をゆるしていると、案外、曹操はなお――間ぎわにいたるまで、こっちの肚を探ろうとしているかも知れない――と気づいたからである。 で、彼は、曹操が、 (成...
一 敵を誘うに、漫罵愚弄して彼の怒りを駆ろうとするのは、もう兵法として古すぎる。 で、蜀軍はわざと虚陣の油断を見せたり、弱兵を前に立てたり、日々工夫して、釣りだしを策してみたが、呉は土龍のように、依然として陣地から一歩も出て...
一 葭萌関は四川と陝西の境にあって、ここは今、漢中の張魯軍と、蜀に代って蜀を守る玄徳の軍とが、対峙していた。 攻めるも難、防ぐも難。 両軍は悪戦苦闘のままたがいに譲らず、はや幾月かを過していた。 「曹操が呉へ攻め下...
一 十年語り合っても理解し得ない人と人もあるし、一夕の間に百年の知己となる人と人もある。 玄徳と孔明とは、お互いに、一見旧知のごとき情を抱いた。いわゆる意気相許したというものであろう。 孔明は、やがて云った。 「も...
一 長江千里、夜が明けても日が暮れても、江岸の風景は何の変化もない。水は黄色く、ただ滔々淙々と舷を洗う音のみ耳につく。 船は夜昼なく、呉の北端、柴桑郡をさして下っている。――その途中、魯粛はひそかにこう考えた。 「痩せて...
一 大河は大陸の動脈である。 支那大陸を生かしている二つの大動脈は、いうまでもなく、北方の黄河と、南方の揚子江とである。 呉は、大江の流れに沿うて、「江東の地」と称われている。 ここに、呉の長沙の太守孫堅の遺子孫...
一 ――それより前に。 張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った范疆、張達のふたりは、その後、呉の都建業に来て、張飛の首を孫権に献じ、今後の随身と忠節を誓ったあげく、 「蜀軍七十余万が、近く呉に向って襲...
一 このところ魏軍江北の陣地は、士気すこぶる昂らなかった。 うまうまと孔明の計に乗って、十数万のむだ矢を射、大いに敵をして快哉を叫ばせているという甚だ不愉快な事実が、後になって知れ渡って来たからである。 「呉には今、孔明...
一 魏ではこのところ、ふたりの重臣を相次いで失った。大司馬曹仁と謀士賈詡の病死である。いずれも大きな国家的損失であった。 「呉が蜀と同盟を結びました」 折も折、侍中辛毘からこう聞かされたとき、皇帝曹丕は、 「まちがい...