袁逢(えんほう)とは 袁逢は後漢末期の高官で、名門袁氏の一族。袁紹・袁術兄弟の父として知られる。後漢朝廷に仕え、三公の一つである司徒に任じられた人物である。 生涯 袁逢は後漢の名門である汝南袁氏の一員として生まれた。...
平原県(へいげんけん)とは 平原県は後漢末期の地名で、現在の山東省徳州市平原県にあたる。黄河下流域に位置する平野部であり、後漢末の動乱期には劉備が一時、県令として赴任した地として知られる。 歴史的背景 平原県は後漢の...
長沙の乱(ちょうさのらん)とは 長沙の乱は、後漢末期の黄巾の乱に呼応して、荊州の南部(現在の湖南省付近)で起こった反乱のことを指す。黄巾の余波として各地に波及した地方反乱の一つである。 歴史的背景 184年に張角が率...
劉協(りゅうきょう)とは 劉協は、後漢の皇子で、後に献帝(けんてい)として即位した後漢最後の皇帝である。霊帝の子で、少帝劉弁の異母弟にあたる。 生涯 劉協は霊帝の皇子として生まれ、母は霊思皇后(王美人ではない)。聡明...
何后(かこう)とは 何后は後漢霊帝の皇后で、名は伝わっていないが「何皇后」として知られる。霊帝の寵愛を受けて皇后となり、後に外戚として権力を握ったが、やがて宮中の権力抗争の中で悲劇的な最期を遂げた。 生涯 何后は屠夫...
何進(かしん)とは 何進は、後漢末期の大将軍で、霊帝の皇后である何皇后の兄。もとは屠殺業を営む庶民の出であったが、妹が皇后となったことで急速に出世し、やがて宦官討伐を試みたが逆に殺害された。 生涯 何進はもとは屠夫で...
夏輝(かき)とは 夏輝は、後漢末期の宦官であり、張譲・趙忠らと同じく十常侍の一人に数えられる人物である。後漢王朝の衰退を象徴する宦官勢力の一員として名が残っている。 生涯 夏輝は後宮に仕える宦官で、霊帝に近侍し、十常...
段珪(だんけい)とは 段珪は、後漢末期の宦官であり、十常侍の一人として知られる。霊帝の時代に張譲・趙忠らとともに権勢を振るい、朝廷を腐敗させた。 生涯 段珪は宦官として後宮に仕え、やがて霊帝に近侍して権力を持つように...
趙忠(ちょうちゅう)とは 趙忠は、後漢末期の宦官で、十常侍の一人。張譲と並んで霊帝の寵愛を受け、朝廷の腐敗を招いた人物である。 生涯 趙忠は宦官として宮中に仕え、霊帝の信任を得て権勢を振るった。張譲らとともに「十常侍...
張譲(ちょうじょう)とは 張譲は、後漢末期の宦官であり、十常侍の筆頭格として知られる。権勢を振るい、霊帝を操って国政を乱した人物の一人である。 生涯 張譲は霊帝に取り入って宦官勢力の中心となり、同僚の趙忠らとともに十...
曹操孟徳(そうそう もうとく)とは 曹操は後漢末から三国時代初期にかけて活躍した群雄で、魏の基礎を築いた人物である。字は孟徳(もうとく)。その才能と多面性から「治世の能臣、乱世の奸雄」と評される。 魏王(ぎおう)とは ...
王允(おういん)とは 王允は、後漢末期の政治家であり、董卓を討つために「連環の計」を仕掛けたことで知られる人物である。字は子師。太原郡祁県(現在の山西省祁県)の出身。 生涯 王允は後漢の官僚として出世し、司徒にまで昇...
貂蝉(ちょうせん)とは 貂蝉は、『三国志演義』および吉川英治『三国志』に登場する伝説的美女である。正史『三国志』(陳寿著)には登場せず、後世の創作によって生まれた架空の人物と考えられている。中国四大美女の一人に数えられる。 ...
朱雋(しゅしゅん)とは 朱雋は、後漢末期の武将で、黄巾の乱において官軍を率いた将軍の一人である。史実でも登場する人物であり、『三国志』(陳寿著)にも記録が残る。 生涯 朱雋は後漢の武将として官に仕え、黄巾の乱が起こる...
盧植(ろしょく)とは 盧植は、後漢末期の儒学者であり、政治家・武将でもあった人物である。三国志においては、劉備の師として知られ、彼の若き日々に大きな影響を与えたことで重要な存在となっている。 生涯 盧植(紀元?〜19...
龔景(きょうけい)とは 龔景は、後漢末期の人物で、吉川英治『三国志』や『三国志演義』に登場する。史実における記録は少ないが、小説では黄巾の乱に際して登場し、朝廷側の武将として描かれる。 生涯 龔景は後漢の官吏・武将で...
鄒靖(すうせい)とは 鄒靖は、後漢末期に黄巾賊討伐に派遣された将軍の一人である。正史『三国志』にも登場する歴史上の人物で、吉川英治『三国志』でも劉備の若き頃のエピソードで描かれている。 生涯 鄒靖は後漢の将軍で、黄巾...
一 酒宴のうちに、曹操は、陳登の人間を量り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。 陳登は、曹操にささやいた。 「呂布は元来、豺狼のような性質で、武勇こそ立ち優っていますが、真実の提携はできない人物です。――こういったら丞相は...
一 今朝、賈詡のところへ、そっと告げ口にきた部下があった。 「軍師。お聞きですか」 「曹操のことだろう」 「そうです」 「急に、閣を引払って、城外の寨へ移ったそうだな」 「そのことではありません」 「では、...
一 董承に対面を強いて、客堂で出会うとすぐに曹操は彼にただした。 「国舅のお手もとへは、予から出した招待の信箋が届かなかったであろうか」 「いや、ご書箋はいただいたが、折返して不参のおもむきを、書面でお断り申しあげてある」...
一 遷都以後、日を経るに従って、長安の都は、おいおいに王城街の繁華を呈し、秩序も大いにあらたまって来た。 董卓の豪勢なることは、ここへ遷ってからも、相変らずだった。 彼は、天子を擁して、天子の後見をもって任じ、位は諸大...
一 かねて董承に一味して、義盟に名をつらねていた西涼の太守馬騰も、玄徳が都を脱出してしまったので、 「前途はなお遼遠――」 と見たか、本国に胡族の襲来があればと触れて、にわかに、西涼へさして帰った。 時しも建安四年...
一 秋七月。魏の曹真は、 「国家多事の秋。久しく病に伏して、ご軫念を煩わし奉りましたが、すでに身も健康に復しましたゆえ、ふたたび軍務を命ぜられたく存じます」 と、朝廷にその姿を見せ、また表を奉って、 ――秋すずしく...
一 魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。 また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。 沿...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...