冒頭 厳綱(げんこう)とは、公孫瓚(こうそんさん)の配下として袁紹軍と対する戦いに出る将で、盤河橋の戦いで先鋒を任された人物です。 生涯 公孫瓚が袁紹と大河を挟んで対陣した際、厳綱は「帥」の字を金線で縫った紅旗を立て...
冒頭 麹義(きくぎ)とは、袁紹配下の将で、対公孫瓚戦において先陣を担い、弓兵を主力とする備えを指揮した人物です。袁紹は麹義を「屈強の射手千余騎」の大将として射陣を布かせ、顔良・文醜を両翼に配して会戦に臨みます。 生涯 ...
冒頭 盤河橋(ばんがきょう)とは、盤河(ばんが)に架かる橋で、公孫瓚軍と袁紹軍が対峙・衝突する際に、両軍の進退を左右する渡河点として登場する地名です。 概要 盤河橋は、橋そのものが戦場の要所として機能し、橋を越えて攻...
冒頭 盤河(ばんが)とは、袁紹と公孫瓚が両岸に陣して争い、盤河橋が両軍の往来と退路の要となった河川です。 概要 盤河一帯では、大河をはさんで両軍が対陣し、盤河橋を越えての攻防が戦局を左右しました。公孫瓚は盤河の畔で白...
大青龍刀(だいせいりゅうとう)とは 関羽(雲長)が振るう巨大な刃を指す呼称で、吉川英治『三国志』では「八十二斤と称する大青龍刀」として描かれる、騎上から豪烈に薙ぎ払う象徴的な武器である 。 呼称 作中では「大青龍刀」と呼ばれ...
文醜(ぶんしゅう)とは 後漢末の武将で、袁紹に仕えた猛将。顔良と並び称され、袁紹軍の双璧と呼ばれた。 生涯 河北に勢力を誇った袁紹の麾下で、先鋒として活躍した。白馬の戦いで顔良が関羽に討たれた後も、文醜は引き続き袁紹...
顔良(がんりょう)とは 後漢末の武将で、袁紹に仕えた猛将。文醜と並んで袁紹軍の双璧と称された。 生涯 河北の袁紹配下で勇名を馳せ、武勇を誇った。官渡の戦いの前哨戦である白馬の戦いでは先鋒を任されるが、曹操軍の関羽に討...
一 汜水関のほうからは、たえず隠密を放って、寄手の動静をさぐらせていたが、その細作の一名が、副将の李粛へ、ある時こういう報告をしてきた。 「どうもこの頃、孫堅の陣には、元気が見えません。おかしいのは兵站部から炊煙がのぼらないこ...
一 胡華の家を立ってから、破蓋の簾車は、日々、秋風の旅をつづけていた。 やがて洛陽へかかる途中に、一つの関所がある。 曹操の与党、孔秀というものが、部下五百余騎をもって、関門をかためていた。 「ここは三州第一の要害...
一 「この大機会を逸してどうしましょうぞ」 という魯粛の諫めに励まされて、周瑜もにわかにふるい起ち、 「まず、甘寧を呼べ」と令し、営中の参謀部は、俄然、活気を呈した。 「甘寧にござりますが」 「おお、来たか」 ...
一 その後、玄徳は徐州の城へはいったが、彼の志とは異っていた。しかし事の成行き上、また四囲の情勢も、彼に従来のようなあいまいな態度や卑屈はもうゆるさなくなってきたのである。 玄徳の性格は、無理がきらいであった。何事にも無理な...
一 ――一方。 洛陽の焦土に残った諸侯たちの動静はどうかというに。 ここはまだ濛々と余燼のけむりに満ちている。 七日七夜も焼けつづけたが、なお大地は冷めなかった。 諸侯の兵は、思い思いに陣取って消火に努めて...
一 顔良が討たれたので、顔良の司令下にあった軍隊は支離滅裂、潰走をつづけた。 後陣の支援によって、からくも頽勢をくい止めたものの、ために袁紹の本陣も、少なからぬ動揺をうけた。 「いったい、わが顔良ほどな豪傑を、たやすく討...
一 さて、その後。 ――焦土の洛陽に止まるも是非なしと、諸侯の兵も、ぞくぞく本国へ帰った。 袁紹も、兵馬をまとめて一時、河内郡(河南省・懐慶)へ移ったが、大兵を擁していることとて、立ちどころに、兵糧に窮してしまった。 ...
一 関羽が、顔良を討ってから、曹操が彼を重んじることも、また昨日の比ではない。 「何としても、関羽の身をわが帷幕から離すことはできない」 いよいよ誓って、彼の勲功を帝に奏し、わざわざ朝廷の鋳工に封侯の印を鋳させた。 ...
一 大戦は長びいた。 黄河沿岸の春も熟し、その後袁紹の河北軍は、地の利をあらためて、陽武(河南省・原陽附近)の要害へ拠陣を移した。 曹操もひとまず帰洛して、将兵を慰安し、一日慶賀の宴をひらいた。 その折、彼は諸人...
一 その晩、山上の古城には、有るかぎりの燭がともされ、原始的な音楽が雲の中に聞えていた。 二夫人を迎えて張飛がなぐさめたのである。 「ここから汝南へは、山ひとこえですし、もう大船に乗った気で、ご安心くださるように」 ...
一 さて。――日も経て。 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働...
一 その頃、北海(山東省・寿光県)の太守孔融は、将軍に任命されて、都に逗留していたが、河北の大軍が、黎陽まで進出してきたと聞いて、すぐさま相府に馳けつけ、曹操に謁して、こう直言した。 「袁紹とは決して軽々しく戦えません。多少は...
一 時刻ごとに見廻りにくる巡邏の一隊であろう。 明け方、まだ白い残月がある頃、いつものように府城、官衙の辻々をめぐって、やがて大きな溝渠に沿い、内院の前までかかってくると、ふいに巡邏のひとりが大声でいった。 「ひどく早い...