江東(こうとう)とは 長江の下流域、現在の江蘇省・安徽省・浙江省一帯を指す地名。三国志の時代には孫氏一族が支配した地域として有名であり、呉の根拠地となった。 歴史的背景 後漢末、反董卓連合に参加した孫堅は、戦後に袁術の下で兵を挙...
劉邦(りゅうほう)とは 前漢の初代皇帝で、諡号は高祖。農民出身から身を起こし、楚漢戦争で項羽を破り、紀元前202年に漢王朝を建国した。 生涯 劉邦は沛県(現在の江蘇省)の農民の子として生まれ、下級役人を務めていた。秦...
下邳(かひ)とは 下邳は、中国江蘇省徐州市睢寧県一帯にあたる古代の都市である。後漢から三国時代にかけて重要な軍事拠点であり、黄河と泗水に挟まれた要地として幾度も戦いの舞台となった。 歴史的背景 下邳は春秋戦国時代から...
一 ひとまず、江東も平定した。 軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上がったといってよい。 「ここが大事だ。ここで自分はなにをなすべきだろうか?」 孫策は自問自...
一 江南江東八十一州は、今や、時代の人、孫策の治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃、文化は溌剌と清新を呈してきて、 小覇王孫郎 の位置は、確固たるものになった。 諸将を分けて、各地の要害を守らせる一方、ひろ...
一 孔明の使命はまず成功したといってよい。呉の出師は思いどおり実現された。孔明はあらためて孫権に暇を告げ、その日、すこし遅れて一艘の軍船に身を託していた。 同舟の人々は、みな前線におもむく将士である。中に、程普、魯粛の二将も...
一 孔明の家、諸葛氏の子弟や一族は、のちに三国の蜀、呉、魏――それぞれの国にわかれて、おのおの重要な地位をしめ、また時代の一方をうごかしている関係上、ここでまず諸葛家の人々と、孔明そのものの為人を知っておくのも、決してむだではなか...
一 呉侯の妹、玄徳の夫人は、やがて呉の都へ帰った。 孫権はすぐ妹に質した。 「周善はどうしたか」 「途中、江の上で、張飛や趙雲に阻められ、斬殺されました」 「なぜ、そなたは、阿斗を抱いてこなかったのだ」 「そ...
一 呂布は、呂布らしい爪牙をあらわした。猛獣はついに飼主の手を咬んだのである。 けれど彼は元来、深慮遠謀な計画のもとにそれをやり得るような悪人型ではない。猛獣の発作のごとく至って単純なのである。欲望を達した後は、ひそかに気の...
一 ほどなく玄徳は、荊州へ引揚げた。 中漢九郡のうち、すでに四郡は彼の手に収められた。ここに玄徳の地盤はまだ狭小ながら初めて一礎石を据えたものといっていい。 魏の夏侯惇は、襄陽から追い落されて、樊城へ引籠った。 ...
徐州(じょしゅう)とは、中国の古代における地方行政区画の一つであり、三国志の時代にもたびたび登場します。現在の山東省西南部、江蘇省北部、安徽省北部一帯にあたるエリアで、古来より交通の要衝であり人口も多い地域でした。 歴史的には、戦国...
一 曠の陣頭で、晴々と、太史慈に笑いかえされたので、年少な孫策は、 「よしッ今日こそ、きのうの勝負をつけてみせる」と、馬を躍らしかけた。 「待ちたまえ」と、腹心の程普は、あわてて彼の馬前に立ちふさがりながら、 「口賢い...
揚州(ようしゅう)とは、中国の古代から三国時代にかけて存在した地名・行政区画です。 揚州は中国南東部、長江より南、江蘇省南部や浙江省、安徽省、江西省、福建省の一部など広範囲を含む地域にあたります。三国志の舞台では重要な地域のひとつで...
一 諸州の浪人の間で、 「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ...