冒頭 袁一門(えんいちもん)とは、後漢末の政界・軍事界で大きな勢力と威望を持った袁氏一族を指す総称です。作中では、名門としての家格と門閥的な結束が、諸侯間の力関係や人心の帰趨に影響する要素として扱われます。 概要 袁...
冒頭 袁一族(えんいちぞく)とは、後漢末に強い勢力と門閥的威信をもって各地に割拠した袁氏の一門で、河北の袁紹と淮南の袁術を中心に、子弟や部将を含む大勢力として描かれる家門です。 概要 作中では、袁術は南陽にあって勢力...
冒頭 辛毘(しんび)とは、河北の袁氏政権から曹操陣営へ転じ、のち魏の朝廷で諫官・侍中として君主をいさめた文官です。袁譚の使者として曹操に面会し、冀北攻略の急務を説いて進軍の方向転換を促す役を担います 。 生涯 袁譚...
冒頭 冀北(きほく)とは、後漢末から三国時代初頭にかけて、冀州を中心とする華北一帯のうち北方を指して用いられる地域名で、袁紹勢力の基盤として語られることが多い土地です。 概要 作中では「冀北の強国、袁紹」という言い方で、袁紹...
冒頭 鄴(ぎょう)とは、後漢末から魏にかけて華北の要地となった冀州の大城郭で、作中では鄴城・鄴都として現れる都市です。 概要 冀北一帯を押さえる軍事・政治の拠点であり、袁紹勢力の本拠としての性格と、のち曹操が河北平定...
冒頭 平原(へいげん)とは、後漢末の冀州に属する県名として作中に現れる地名で、劉備が官職を得て軍勢を養い、河北情勢へ関与していく拠点となる土地です。 概要 作中では「冀州の平原県」として示され、公孫瓚が南下する途上で...
冒頭 中山府(ちゅうざんふ)とは、河北地方に置かれた地方行政区画として作中に現れる地名です。劉備が安喜県尉に任ぜられた任地が「中山府(河北省・定県)の安喜県」と示されます。 概要 中山府は、複数の県を管轄する上位の地域単位と...
冒頭 公孫康(こうそんこう)とは、後漢末に遼東を支配した地方勢力の長で、作中では遼東太守として、袁煕・袁尚兄弟の処置をめぐる判断と、曹操への対応によって名が現れる人物です。 生涯 袁紹の子である袁煕・袁尚が各地を転々...
冒頭 公孫度(こうそんど)とは、後漢末に遼東を根拠として半独立の勢力を築き、公孫氏が辺境に割拠する基盤を作った地方軍閥です。 生涯 遼東太守として当地の軍政・交易を掌握し、中原の政局混乱を背景に朝廷の統制が及びにくい...
冒頭 公孫淵(こうそんえん)とは、三国時代の遼東地方を支配した公孫氏の当主で、魏と呉の間で離反と帰服を重ねた末に魏の討伐を受けて滅んだ人物です。 生涯 遼東は後漢末以来、公孫度・公孫康ら公孫氏が半独立的に統治した地域...
冒頭 河北省(かほくしょう)とは、中国北部で黄河以北の平原地帯を中心とする地域名で、吉川英治『三国志』では冀州・幽州・并州・青州など「河北の諸州」を含む広い北方圏を説明する際に用いられる呼称です。 概要 作中で「河北...
審配(しんぱい)とは 後漢末の人物で、袁紹に仕えた謀臣。字は正南(せいなん)。剛毅で忠義に厚い性格で知られ、袁紹死後もその遺児を支えて曹操に徹底抗戦した。 生涯 冀州の名士として袁紹に仕え、河北経営を支えた。袁紹が死...
一 玄徳が、その一族と共に、劉表を頼って、荊州へ赴いたのは、建安六年の秋九月であった。 劉表は郭外三十里まで出迎え、互いに疎遠の情をのべてから、 「この後は、長く唇歯の好誼をふかめ、共々、漢室の宗親たる範を天下に垂れん」...
一 冬十月の風とともに、 「曹操来る。曹軍来る」の声は、西平のほうから枯野を掃いて聞えてきた。 袁尚は愕いて、にわかに平原の囲みをとき、木の葉の如く鄴城へ退却しだした。 袁譚は城を出て、その後備えを追撃した。そして...
一 亡国の最後をかざる忠臣ほど、あわれにも悲壮なものはない。 審配の忠烈な死は、いたく曹操の心を打った。 「せめて、故主の城址に、その屍でも葬ってやろう」 冀州の城北に、墳を建て、彼は手厚く祠られた。 建安九...
一 槍の先に、何やら白い布をくくりつけ、それを振りながらまっしぐらに駈けてくる敵将を見、曹操の兵は、 「待てっ、何者だ」と、たちまち捕えて、姓名や目的を詰問した。 「わしは、曹丞相の旧友だ。南陽の許攸といえば、きっと覚えて...
一 いまや曹操の勢いは旭日の如きものがあった。 北は、北狄とよぶ蒙古に境し、東は、夷狄と称する熱河の山東方面に隣するまで――旧袁紹治下の全土を完全に把握してしまった。彼らしい新味ある施政と威令とは、沈澱久しかった旧態を一掃し...
一 袁紹はわずか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽まで逃げのびてきたが、味方の聯絡はズタズタに断ち切られてしまい、これから西すべきか東すべきか、その方途にさえ迷ってしまった。 黎山の麓に寝た夜の明け方ごろである。 ...