何顒
何顒(かぎょう)とは
何顒は後漢末期の学者・官僚で、清流派の名士として知られた人物。字は伯求(はくきゅう)。学問と人格に優れ、同時代の士人から高く評価された。
生涯
何顒は潁川出身で、若くして経学に通じ、名声を博した。党錮の禁では清流派の士人として弾圧される側に属し、宦官勢力と対立した。
霊帝の治世には朝廷に仕え、従事中郎などを務めるが、政治腐敗の中で大きな権力を握ることはなかった。
やがて董卓が専横すると、天下の混乱を憂い、志半ばで世を去ったと伝えられる。
人物
何顒は高潔な人物で、学問に通じ、正義を重んじる気風を持っていた。特に礼学に秀で、儒学者として士人社会で重んじられた。
また、時に直言を辞さず、権力者に屈しない姿勢を示したため、同時代の清流派士人とともに「名教の士」と称された。
関連する人物
荀彧(名士として同時代に活動した)
宦官勢力(対立関係にあり、党錮の禁の原因の一つとなった)
「何顒」の基本情報
総登場回数
4回
活動期間
2巻にわたって登場
初回登場
桃園の巻
最終登場
臣道の巻
最も活躍した巻
桃園の巻
(3回登場)