孫権仲謀

別名 孫権 仲謀 孫仲謀 呉王 呉大帝 を統合して表示・集計しています。
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孫権(そんけん)、字は仲謀(ちゅうぼう)とは
孫権は、三国時代の呉の初代皇帝であり、孫堅の次男、孫策の弟にあたる。字(あざな)は仲謀長江流域を支配し、呉の基盤を固めた名君として知られる。
 
生涯
孫権は182年に生まれた。兄の孫策が父孫堅の後を継いで江東を制覇したが、孫策は若くして死去。その遺志を継いだ孫権は、19歳にして孫家の大業を背負うこととなった。
若年ながら器量に優れ、張昭周瑜魯粛など有能な人材を登用し、江東の地盤を固めた。
208年、赤壁の戦いで曹操の大軍を周瑜と共に撃退し、劉備との同盟を成功させた。以後、蜀と連携しつつも対立も繰り返し、三国鼎立の一角として呉を建国した。
229年、自ら皇帝を称し、呉の初代皇帝となった。252年に70歳で崩御。息子の孫亮が皇帝を継いだ。
 
人物
孫権は、勇猛果敢な兄孫策に比べると冷静沈着で持久力に優れた人物と評される。紫髯をたくわえ、眼光鋭い容貌であったと伝えられる。
人材を重んじ、部下の意見をよく聞き入れる柔軟さを持ちながら、時に果断な決断を下す指導力を発揮した。
 
妻子や血縁
父:孫堅江東の虎
母:呉氏(呉夫人)
兄:孫策江東を制したが若くして死去)
弟:孫翊・孫匡
子:孫登太子。早世)、孫亮(少帝)、孫休(後の皇帝)、孫和(廃太子
 
関連する人物
孫策(兄。死後その大業を継いだ)
周瑜(腹心の名将。赤壁の戦いで曹操を撃退)
魯粛劉備との同盟を推進)
呂蒙陸遜(呉を支えた武将)
劉備(同盟を結んだが後に荊州を巡って対立)
曹操(赤壁の戦いで大軍を率いた魏の指導者)
 
有名なエピソード
・赤壁の戦いで魏軍を撃退し、三国鼎立を決定づけた。
・「狩猟好きで若い頃は奔放だったが、兄の死後は急速に成長し、名君となった」と伝わる。
・晩年には後継者問題で迷いが生じ、政権内に不安を残した。
 
吉川英治三国志での扱われ方と史実との違い
吉川英治三国志』では、孫権は兄孫策に比べ落ち着きがあり、智謀に優れた人物として描かれる。若くして家を継ぎ、張昭らの補佐を受けて成長していく姿は、読者に「大器晩成」の印象を与える。赤壁の戦いでは周瑜と共に主役となり、史実同様に魏を退ける大きな功績をあげている。
「孫権仲謀」の基本情報
総登場回数
506回
活動期間
8巻にわたって登場
初回登場
群星の巻
最終登場
五丈原の巻
最も活躍した巻
出師の巻 (146回登場)
「孫権仲謀」登場回数
合計: 506回
0 36 73 109 146 0 桃園の巻 4 群星の巻 3 草莽の巻 0 臣道の巻 41 孔明の巻 113 赤壁の巻 89 望蜀の巻 92 図南の巻 146 出師の巻 18 五丈原の巻
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