挟天子以令諸侯
冒頭
概要
後漢末、都が兵乱で荒廃し、朝廷の統制が失われるなかで、諸勢力は軍事力だけでなく、詔命を発しうる権威の所在を奪い合いました。天子を擁する側は「朝威」を掲げ、他勢力を「朝敵」と位置づける名分を得ます。吉川三国志でも、曹操の勢力伸長の根本が献帝を許都へ奉迎した点にあること、そして荀彧が「主上を奉じて人望に従う」策として強く促したことが述べられます 。
意味
「挟」は挟みこむ、手中に収める意で、天子の身辺を掌握することを指します。「令諸侯」は、天子の名による詔命・官爵授与・征討命令などを通じ、諸侯を動かすことです。形式上は天子の命令でも、実際の発意と運用は天子を擁する実力者に帰します。
当時の文脈での使われ方
この方策は、兵糧・兵站・人材登用を進めるうえでも有利に働きます。許都に朝廷機構を整え、官職を配して統治の体裁を整えることは、軍事と行政の結合を可能にします 。一方で、天子の側からは監視と圧迫として受け取られ、朝廷の式微が進む状況も描かれます 。
関連人物
史実との違い