楚国
冒頭
概要
吉川英治『三国志』では、周瑜が呉の進退を論じる場で、楚が当初は荊山のほとりの「百里に足らない」小領域から出発しながら、賢能の士を集めて「九百余年」の国の基を開いた先例として引かれます 。この用例では、地勢や兵力の大小よりも、人物登用と国家運営の積み重ねが国の長期存続を支える、という趣旨が前面に置かれています。
歴史
楚は周王朝の封建秩序の周縁から勢力を伸ばし、南方の資源と広大な領域を背景に、独自の王号や官制を整えつつ中原諸国と覇を競いました。戦国期には秦と並ぶ大国の一つとして抗争し、最終的に秦の統一過程で滅亡します。後世、「楚」は江南・荊楚の地域名や文化圏の呼称としても残り、三国時代の呉・荊州方面を語る際の歴史的背景語にもなります。
関連人物
作中で楚国を引くのは周瑜であり、呉が六郡を領して富強であることと対比しつつ、国家の起源と発展の例として楚の歩みを挙げています 。
史実との違い