漁陽

漁陽(ぎょよう)とは
漁陽は中国の古代地名で、現在の北京市密雲区・河北省北東部にかけての地域にあたる。後漢時代には「漁陽郡」が置かれ、北方防衛の要地として知られた。
 
歴史的背景
戦国時代には燕国の領土であり、燕の北辺防衛を担った地域であった。秦の始皇帝による統一後、郡県制のもとで「漁陽郡」が設置され、匈奴など北方遊牧民族との境界地帯として軍事的重要性を持った。
後漢においても漁陽は北辺を守る要地であり、同時に反乱や軍事蜂起の舞台となることが多かった。
 
三国志との関わり
後漢末、張角による黄巾の乱に呼応して各地で賊徒が蜂起した際、漁陽でも劉焉の檄文を受けた劉氏一族や地元の武装勢力が動いたと伝わる。また、公孫瓚幽州方面で活動する際の軍事行動の拠点の一つとしても言及される。
さらに、後に曹操袁紹の対立の中でも、漁陽やその周辺の幽州の動向は北方の軍事バランスに大きな影響を与えた。
 
関連する人物
公孫瓚幽州を根拠にした群雄。漁陽周辺を勢力下に置いた)
劉虞幽州牧。漁陽の安定に尽力したが、公孫瓚に殺害された)
 
吉川英治三国志での扱われ方
吉川英治三国志』でも、漁陽は北方の地として触れられる。黄巾の乱の余波や北方異民族の脅威の中で、辺境を象徴する地名として登場する。物語においては、中国の中心部から遠い「北辺の地」として描かれ、戦乱の広がりを示す舞台背景の一つとなっている。
「漁陽」登場回数
合計: 5回
0 1 2 3 4 4 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 1 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
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