真定
冒頭
概要
歴史
常山郡一帯は太行山地の東麓に広がる華北平原の一角を占め、後漢末の群雄割拠期には冀州をめぐる諸勢力の動向と無関係ではいられない地域でした。真定そのものが大規模な戦場として描かれるよりも、華北の在地社会に根ざす人物の出身地として言及されます。
関連人物
史実との違い
「ご辺は、どこへ帰ろうとする旅人か」 。 公孫瓚の問いに、 。「それがしは、常山真定(河北省・正定の附近)の生れゆえ、そこへ帰ろうとする者です。趙雲、字は子龍と云います」 。 眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった。
浪人者は面をあげて、 。「これは計らざる所で、……」とばかり、しばしはただなつかしげに見まもっていた。 これなん真定常山の趙雲、字は子龍その人であった。 趙子龍はずっと以前、公孫瓚の一方の大将として、玄徳とも親交があった。かつては玄徳の陣にいたこともあるが、北平の急変に公孫瓚をたすけ、奮戦百計よく袁紹軍を苦しめたものである。