繁陽 地名 冒頭 繁陽(はんよう)とは、魏が禅譲の大典を行うための高台受禅台を築いた地名です。 概要 作中では、魏王曹丕が漢の献帝から帝位を譲り受ける儀式に先だち、受禅台の造営地として繁陽が選ばれます。受禅台は三重の高台として完成し、朝廷・王府の官員や御林軍・虎賁軍など多数が列して式が挙行され、献帝が冊文を読み、玉璽が曹丕に渡されます。 歴史 繁陽は、漢から魏への政権移行を儀礼として可視化する舞台となり、国号の改称や改元へ直結する転換点を担います。曹丕は受禅後に国号を大魏とし、年号を黄初元年に改めたとされます。 関連人物 賈詡は、帝位簒奪との誹りを避ける配慮として、華歆を通じ受禅台の造営と禅譲儀礼の整備を進言します。 献帝は台上で禅譲の冊文を読み、曹丕が玉璽を受けて魏帝となります。 史実との違い 吉川三国志では、繁陽の受禅台とその大典が大規模に整えられた過程が強調される一方、史実・演義での記述は儀礼の骨格は共通しても、動員規模や瑞祥・異変などの細部には差がみられます。 「繁陽」登場回数 合計: 2回 0 0 0 0 1 0 桃園の巻 0 群星の巻 1 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 1 出師の巻 0 五丈原の巻 「繁陽」が登場する場面 1件 改元 すなわち、華歆をして、一つの高台を造営させ、これを受禅台と名づけて、某月吉日をえらび、天子御みずから玉璽を捧げて、魏王にこれを禅るという、大典を挙げ行うことをお薦め申すべきです」 。 実に、魏の僭位は、これほど念に念を入れた上に行われたものであった。 受禅台は、繁陽の地を卜して、その年十月に、竣工を見た。三重の高台と式典の四門はまばゆきばかり装飾され、朝廷王府の官員数千人、御林の軍八千、虎賁の軍隊三十余万が、旌旗や旆旛を林立して、台下に立ちならび、このほか匈奴の黒童や化外の人々も、およそ位... 出師の巻 本文 三国志 「繁陽」を全て検索