函谷関
冒頭
概要
函谷関は、黄河中流域から関中へ入る「門」として機能し、大軍の通過が難しい地形を背景に、防衛線・検問線として重視されました。政権が洛陽・長安を拠点とするかにかかわらず、東西を結ぶ幹線の要点であるため、戦時には守将の兵力配置や伏兵の有無がそのまま攻防の成否に直結しました。
歴史
戦国期以来、関中を守る代表的な関門として語られ、秦・漢以後も「関」をめぐる支配は都城防衛と同義になりました。関所の強固さは、単に城壁や関門の堅牢さだけでなく、周囲の高地・低地に兵を伏せて通路を封鎖する運用によって支えられました。
関連人物
吉川英治『三国志』では、関羽が曹操の勢力圏を抜けて旧主のもとへ帰ろうとする途上、洛陽の城門外にある「函門」が厳重に固められ、守備側が増援や伏兵を配して関羽の到来に備える場面が描かれます。関羽が東嶺関を破って孔秀を斬ったとの報が先着し、洛陽守備の韓福らが警戒を強めた状況として示されます
史実との違い