子午谷
冒頭
概要
歴史
子午谷は険阻な山谷で、大軍の展開や補給が難しい反面、守りが薄い隙を突けば短期に要地へ迫れる可能性があると見なされます。一方で、孔明は「山際の切所を断たれれば帰還不能」として、五千の兵が生還しない危険を挙げ、魏延の案を退けて隴右の大路へ出る正攻法を選びます。
関連人物
史実との違い
」 。「ここと長安の間は、長駆すれば十日で達する距離です。もしお許しあれば、秦嶺を越え、子午谷を渡り、虚を衝いて、敵を混乱に陥れ、彼の糧食を焼き払いましょう。――丞相は斜谷から進まれ、咸陽へ伸びて出られたら、魏の夏侯楙などは、一鼓して破り得るものと信じますが」 。「いかんなあ」 。
「いたずらに敵をたたえるわけではないが、この仲達の観るかぎりにおいて、孔明はたしかに蓋世の英雄、当今の第一人者、これを破るは実に容易でない」 。 と、今次の大戦を前に、心からそう語って、さてそのあとで云った。「――もし自分が孔明の立場にあって、魏へ攻め入るとすれば、この地方は山谷険難、それを縫う十余条の道あるのみゆえ、まず子午谷から長安へ入る作戦をとるであろう。――だがじゃ、孔明はおそらく、それを為すまい。なぜならば従来の戦争ぶりを見ると、彼の用兵は実に慎みぶかい。