許子将

許子将(きょししょう)とは
後漢末の人物、名は許劭(きょしょう)、字が子将。人物鑑定で名を馳せた学者・名士である。彼の従兄弟には許靖(きょせい)がいる。
 
生涯
許劭は汝南郡の出身。若くして人を見る目にすぐれ、人物批評を得意とした。彼の評は当時「月旦評(げったんひょう)」と呼ばれ、毎月一日に人物論を語っては世間に広まり、大きな影響力を持った。
後漢末の動乱期には多くの群雄・名士が彼の批評を受け、名声を左右された。劉備許子将に会い、自分の将来を問うたと伝わる。
 
人物
慎重で的確な人物批評を行い、清流派の名士として高く評価された。権力争いには深入りせず、清廉な姿勢を貫いた。
 
関連する人物
許靖:従兄弟で、同じく名士。
劉備許子将に将来を占われ、「王佐の才(天下の補佐役となる才)」と評された。
曹操:若き日に「治世の能臣、乱世の姦雄」と評された。後世まで語り継がれる名言となった。
 
有名なエピソード
曹操を「治世の能臣、乱世の姦雄」と評した逸話はもっとも有名。
劉備を「王佐の才」と見抜いたことも有名で、のちの劉備の志に大きな影響を与えた。
 
吉川英治三国志での扱われ方
吉川版でも許子将は「人物を見抜く慧眼の士」として描かれ、曹操劉備の将来を占う重要な役割を果たす。彼の言葉は物語における予言的な意味を持ち、後の展開を暗示するものとして強調されている。
「許子将」の基本情報
総登場回数
4回
活動期間
2巻にわたって登場
初回登場
桃園の巻
最終登場
臣道の巻
最も活躍した巻
桃園の巻 (3回登場)
「許子将」登場回数
合計: 4回
0 0 1 2 3 3 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 1 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約1ヶ月前