冒頭 白毦兵(はくじへい)とは、蜀漢の君主劉備の麾下に属したとされる精鋭の親衛・近衛部隊で、兜や旗などに「白い毦(けものの尾毛で作る飾り)」を用いたことに由来する呼称です。軍中では主君の直衛、陣営警固、先鋒・殿軍など要所の運用...
冒頭 十常侍の乱(じょうじょうじのらん)とは、後漢末の洛陽宮廷で権勢をふるった宦官集団十常侍が、外戚の何進と対立して殺害・粛清され、その過程で皇帝らが宮中から連れ去られるなど宮城と都が大混乱に陥った政変です。 概要 十常侍は...
冒頭 白耳兵(はくじへい)とは、蜀漢の劉備の配下に置かれたとされる精鋭部隊で、主として親衛・近衛的な任務を担ったと伝えられる兵の呼称です。 概要 白耳兵は、主君の身辺警護や中軍の守備など、戦場でも政庁でも枢要の位置に...
冒頭 中部掾史(ちゅうぶえんし)とは、後漢の洛陽近辺を管轄する河南の官府に置かれた属吏で、掾史という長官補佐の実務官が、担当区域の一つである中部を受け持った職名です。 概要 掾史は、太守・尹などの長官の下で、文書処理...
冒頭 瑠璃殿(るりでん)とは、瑠璃色の瓦などで飾られた宮殿建築を指す呼び名で、後漢王朝の宮中を象徴する殿舎名として用いられる語です。吉川英治『三国志』では「宮中の瑠璃殿裡」として、洛陽の宮廷内部を言い表す場面に現れ、霊帝の崩御...
冒頭 北邙山(ほくぼうざん)とは、洛陽の北方に連なる丘陵・山地の総称で、後漢末の政変において都洛陽の郊外景としてしばしば語られる地名です。草原の彼方に北邙山が望まれる位置関係が示され、洛陽からの逃避行の行程を測る目印として扱わ...
冒頭 丹陽兵(たんようへい)とは、揚州の丹陽郡に属する兵士、または丹陽出身者を中核に編成された部隊を指す呼称です。地名を冠して「どこの兵か」を示す言い方で、同郷の結束や地縁を基盤にした軍勢として扱われます。 概要 丹...
冒頭 平原(へいげん)とは、後漢末の冀州に属する県名として作中に現れる地名で、劉備が官職を得て軍勢を養い、河北情勢へ関与していく拠点となる土地です。 概要 作中では「冀州の平原県」として示され、公孫瓚が南下する途上で...
冒頭 翡翠門(ひすいもん)とは、後漢の都・洛陽の宮城に属する宮門の一つです。北宮にある門として言及され、宮廷の出入りや非常時の脱出経路としても機能しました。 概要 洛陽は王朝の政治中枢であり、宮城は城郭と瓦葺きの建築...
冒頭 青州兵(せいしゅうへい)とは、後漢末に青州で蜂起した黄巾賊の降兵などを吸収して編成された、曹操配下の大兵力の一群です。曹操が青州の黄巾勢を討伐したのち、降兵三十万を得、さらに領民から屈強な若者を選んで軍勢を大きく増やした...
冒頭 北宮(ほっきゅう)とは、後漢の都洛陽における宮城内の区画名で、皇帝や后妃が居住し政務・儀礼が営まれる禁中施設群の一つです。吉川英治『三国志』では、宮中の動乱時に十常侍が新帝・何太后・皇弟(陳留王)を擁して「北宮翡翠門」から脱...
冒頭 既生瑜何生亮(すでにゆをしょうじて、なにぞまたりょうをしょうぜしむ)とは、周瑜が自らの不運と宿命を嘆き、天が周瑜を世に生ませながら、なぜさらに諸葛亮(孔明)という同時代の大才を生じたのか、と言い表す成句です。吉川英治『三...
冒頭 西苑(せいえん)とは、後漢の都・洛陽の宮城に付属する苑地で、宮中の庭園・遊猟地や池沼をふくむ禁苑の一つです。吉川英治『三国志』では、宮中の乱のさなかに宦官たちが殺害され、その首が「西苑の湖中」へ投げ込まれる場として示され...
冒頭 周郎赤壁(しゅうろうせきへき)とは、呉の若き都督で「周郎」と称された周瑜と、長江流域で行われた赤壁の戦いとを結びつけて言う語で、赤壁における周瑜の統率と計略を代表させた呼び方です。周瑜は当時「美周郎」とも呼ばれ、年少の俊...
冒頭 翠花楼(すいかろう)とは、後漢末の洛陽宮中にあった楼閣の一つとして、吉川英治『三国志』に登場する宮廷建築です。宦官勢力である十常侍の一派が宮中の乱で追い詰められる場面で、「西宮翠花門」付近まで逃れた者たちの四肢が「翠花楼...
冒頭 洛陽城(らくようじょう)とは、後漢王朝の都洛陽を中心とする宮城・官衙・城門街を含む城郭都市で、三国志世界における中央権力の象徴となる場所です。 概要 洛陽は「王城の府」として人口・物資・文化が集積し、宮城を軸に...
冒頭 翠花門(すいかもん)とは、後漢の宮城にある門の一つで、吉川英治『三国志』では「西宮翠花門(せいきゅうすいかもん)」として、宮中の騒乱のさなかに宦官たちが逃れ込む地点として示される宮門です。 概要 作中の翠花門は...
冒頭 老驥伏櫪(ろうきふくれき)とは、老いた駿馬が厩(うまや)の柵につながれて伏していても、なお遠くを走る志を失わない、という趣旨を述べた漢語成句です。 概要 字義は「老驥(老いた名馬)が伏櫪(厩の柵に伏す)」で、境...
冒頭 呉匡(ごきょう)とは、後漢末の政変に際し、大将軍何進の配下として行動する武人です。宮中で何進が殺害された直後、同じく何進の幕将である袁紹らと並び、宦官勢力の掃討へ動く一人として位置づけられます。 生涯 作中での...
冒頭 泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)とは、情としては惜しみ涙を流すほどの相手であっても、公の規律や大義を守るためには処罰を断行する、という故事成語です。 概要 蜀の諸葛亮が北伐中、要地の街亭を守る任を与えた...
冒頭 司空(しくう)とは、後漢から魏晋にかけての中央官職で、太尉・司徒と並ぶ三公の一つに数えられた高位の官です。董卓が献帝擁立後に荀爽を司空へ任じた例が見えるように、政権の中枢を固めるための要職でもありました 。 概要 ...
冒頭 青鎖門(せいさもん)とは、後漢の都・洛陽の宮城に属する禁門の一つで、外部の兵馬や武装勢力の立ち入りを制限する境界として機能する門です。 概要 禁中への出入りを統制する門であり、参内者であっても随兵を門外に止めて...
冒頭 水魚の交わり(すいぎょのまじわり)とは、水と魚が離れがたく共にあるように、きわめて親密で相互に不可欠な関係をいうたとえです。 概要 「水」は相手を生かす環境や支えを、「魚」はその中で力を得て働く存在を象徴し、上...
冒頭 長楽宮(ちょうらくきゅう)とは、後漢の都洛陽の宮城内にあった宮殿区画の一つで、禁中の要所として内門を備えた施設です。十常侍の張譲らが、武装した禁中の兵を「嘉徳門や長楽宮の内門」に伏せさせたとされ、宮中政変の舞台となります...
冒頭 髀肉の嘆(ひにくのたん)とは、志を果たす機会を得られず、徒らに日を過ごして武功も立てられない境遇を、太腿の肉が増えることにたとえて嘆く言い回しです。 概要 「髀肉」は髀、すなわち太腿の肉を指し、長く鞍にまたがら...