冒頭 公路(こうろ)とは袁術(えんじゅつ)の字(あざな)です。袁紹(えんしょう)と同族の名門袁氏に属し、諸侯連合では「南陽の太守」袁術として筆頭格に名を連ねます。 生涯 吉川三国志では、袁術は河南・南陽に拠って勢力を...
冒頭 伝国の玉璽(でんこくのぎょくじ)とは、天子の印章として国土の継承と正統を示す朝廷の宝器です。孫策の周辺では「玉璽といえば、天子の印章」と説明され、これを持つことが帝位僭称の根拠になり得るものとして扱われます。 概要 ...
冒頭 北邙山(ほくぼうざん)とは、洛陽の北方に連なる丘陵・山地の総称で、後漢末の政変において都洛陽の郊外景としてしばしば語られる地名です。草原の彼方に北邙山が望まれる位置関係が示され、洛陽からの逃避行の行程を測る目印として扱わ...
冒頭 反董卓連合(はんとうたくれんごう)とは、後漢末、董卓が朝廷の実権を握って洛陽を支配したことに対し、関東側の諸侯が「董卓討伐」を名目に結成した連合軍です。吉川英治『三国志』では、陳留を中心に「十八ヵ国」の諸国が呼応し、袁紹...
冒頭 譙周(しょうしゅう)とは、蜀の朝廷に仕えた文官で、典礼や故実に通じ、必要に応じて上奏文の起草や史官的立場からの諫言にあたった人物です。劉備が漢中王に即く際、その旨を天子に奏するための表を作成した者として登場します。 生...
玉璽(ぎょくじ)とは 玉璽とは、中国皇帝の印章を指す。特に「伝国の璽(でんこくのじ)」と呼ばれるものは、秦の始皇帝以来、代々の皇帝に伝わった帝位の象徴とされる至宝である。 歴史的背景 伝国の玉璽は、秦の始皇帝が天下を...
孫堅(そんけん)、字は文台(ぶんだい)とは 孫堅は、後漢末期の武将で「江東の虎」と称された人物。呉の創始者である孫権の父であり、孫策の父でもある。字(あざな)は文台。三国志の物語では、孫呉の礎を築いた英傑として登場する。 生...
一 酒宴のうちに、曹操は、陳登の人間を量り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。 陳登は、曹操にささやいた。 「呂布は元来、豺狼のような性質で、武勇こそ立ち優っていますが、真実の提携はできない人物です。――こういったら丞相は...
一 かねて董承に一味して、義盟に名をつらねていた西涼の太守馬騰も、玄徳が都を脱出してしまったので、 「前途はなお遼遠――」 と見たか、本国に胡族の襲来があればと触れて、にわかに、西涼へさして帰った。 時しも建安四年...
一 江南江東八十一州は、今や、時代の人、孫策の治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃、文化は溌剌と清新を呈してきて、 小覇王孫郎 の位置は、確固たるものになった。 諸将を分けて、各地の要害を守らせる一方、ひろ...
一 幾日かをおいて、玄徳は、きょうは先日の青梅の招きのお礼に相府へ参る、車のしたくをせよと命じた。 関羽、張飛は口をそろえて、 「曹操の心根には、なにがひそんでいるか知れたものではない。才長けた奸雄の兇門へは、こっちから...
一 曹丕が大魏皇帝の位についたと伝え聞いて、蜀の成都にあって玄徳は、 「何たることだ!」と、悲憤して、日夜、世の逆しまを痛恨していた。 都を逐われた献帝は、その翌年、地方で薨去せられたという沙汰も聞えた。玄徳はさらに嘆き...
一 洛陽の余燼も、ようやく熄んだ。 帝と皇弟の車駕も、かくて無事に宮門へ還幸になった。 何太后は、帝を迎えると、 「おお」 と、共に相擁したまま、しばらくは嗚咽にむせんでいた。 そして太后はすぐ、 ...
一 ――一方。 洛陽の焦土に残った諸侯たちの動静はどうかというに。 ここはまだ濛々と余燼のけむりに満ちている。 七日七夜も焼けつづけたが、なお大地は冷めなかった。 諸侯の兵は、思い思いに陣取って消火に努めて...
一 大河は大陸の動脈である。 支那大陸を生かしている二つの大動脈は、いうまでもなく、北方の黄河と、南方の揚子江とである。 呉は、大江の流れに沿うて、「江東の地」と称われている。 ここに、呉の長沙の太守孫堅の遺子孫...
一 「このまま踏み止まっていたら、玄徳はさておいて、呂布が、違約の敵と名乗って、総勢で攻めてくるにちがいない」 紀霊は、呂布を恐れた。 何だか呂布に一ぱい喰わされた気もするが、彼の太い神経には、まったく圧服されてしまった...