反董卓連合
冒頭
反董卓連合(はんとうたくれんごう)とは、後漢末、董卓が朝廷の実権を握って洛陽を支配したことに対し、関東側の諸侯が「董卓討伐」を名目に結成した連合軍です。吉川英治『三国志』では、陳留を中心に「十八ヵ国」の諸国が呼応し、袁紹を総大将、曹操を参謀格として擁し、先鋒を孫堅が担う軍として組織されます 。
概要
連合は、董卓軍が汜水関・虎牢関などの関門線で迎撃態勢を整えるなかで進軍し、作戦会議や諸侯間の調整を重ねつつ戦います。虎牢関は洛陽の南方にある要害で、ここを押さえられると諸侯側の通路・連絡が脅かされる地点として描かれ、連合軍の動揺要因にもなります 。
構成と主な参加勢力
作中では、連合軍の対董卓戦線が展開する過程で「十七鎮の諸侯」という言い方も用いられ、袁紹・曹操らが本営に集って作戦を協議する場面があります 。また戦局に応じて兵が再編され、虎牢関方面へ向かう軍として王匡・鮑信・喬瑁・袁遺・孔融・張楊・陶謙・公孫瓚ら「八ヵ国」が挙げられ、曹操は遊軍として機動的に加勢する配置を取ります 。
経過と特徴
連合は洛陽方面に進出する一方、統率の難しさを内包します。洛陽入り後、孫堅が伝国の玉璽をめぐって袁紹と対立し、諸侯が仲裁するなど、同盟内部の不信が表面化します 。さらに董卓が長安へ退いたのち、曹操は追撃を主張しますが、袁紹が疲労を理由に慎重姿勢を示して衝突し、曹操は独自に進軍するに至ります 。こうした足並みの乱れは、連合が決定的な戦果を挙げにくい要因として機能します。
史実との違い