尚書丁管(しょうしょ ていかん)とは 後漢末の官僚で、尚書(中央の詔勅や政務を扱う官職)を務めた人物。名は丁管。三国志正史や『後漢書』にも登場するが、記録は少なく、宦官勢力との関わりで名が残っている。 生涯 丁管は尚...
周毖(しゅうひ)とは 後漢末の官僚で、黄門侍郎を務めた人物。何進と宦官の争い、董卓の入京といった政変の中で登場する。 生涯 霊帝の崩御後、外戚の何進が宦官を誅そうとした際、周毖はこの策に反対した。宦官勢力を一気に排除...
袁隗(えんかい)とは 後漢末の名族・袁氏の一人で、袁紹や袁術の大叔父にあたる人物。後漢末期の混乱期に司空などの高官を歴任した。 生涯 袁隗は四世三公(四代にわたり三公を輩出した名門)として知られる汝南袁氏の出身。霊帝...
何太后(かたいこう)とは 何太后は後漢霊帝の皇后であり、少帝劉弁の生母。名は伝わっていないが、「何皇后」「何太后」として歴史に名を残す。外戚として兄の何進と共に権力を握ったが、やがて董卓により廃されて悲劇的な最期を遂げた。 ...
崔毅(さいき)とは 崔毅は吉川英治『三国志』に登場する人物で、史実には見られない架空の人物。後漢末期、十常侍の乱によって混乱する洛陽から逃れた霊帝の子(新帝)と陳留王を匿い助ける役割を果たしている。 生涯(物語上の役割) ...
何后(かこう)とは 何后は後漢霊帝の皇后で、名は伝わっていないが「何皇后」として知られる。霊帝の寵愛を受けて皇后となり、後に外戚として権力を握ったが、やがて宮中の権力抗争の中で悲劇的な最期を遂げた。 生涯 何后は屠夫...
何進(かしん)とは 何進は、後漢末期の大将軍で、霊帝の皇后である何皇后の兄。もとは屠殺業を営む庶民の出であったが、妹が皇后となったことで急速に出世し、やがて宦官討伐を試みたが逆に殺害された。 生涯 何進はもとは屠夫で...
夏輝(かき)とは 夏輝は、後漢末期の宦官であり、張譲・趙忠らと同じく十常侍の一人に数えられる人物である。後漢王朝の衰退を象徴する宦官勢力の一員として名が残っている。 生涯 夏輝は後宮に仕える宦官で、霊帝に近侍し、十常...
段珪(だんけい)とは 段珪は、後漢末期の宦官であり、十常侍の一人として知られる。霊帝の時代に張譲・趙忠らとともに権勢を振るい、朝廷を腐敗させた。 生涯 段珪は宦官として後宮に仕え、やがて霊帝に近侍して権力を持つように...
趙忠(ちょうちゅう)とは 趙忠は、後漢末期の宦官で、十常侍の一人。張譲と並んで霊帝の寵愛を受け、朝廷の腐敗を招いた人物である。 生涯 趙忠は宦官として宮中に仕え、霊帝の信任を得て権勢を振るった。張譲らとともに「十常侍...
張譲(ちょうじょう)とは 張譲は、後漢末期の宦官であり、十常侍の筆頭格として知られる。権勢を振るい、霊帝を操って国政を乱した人物の一人である。 生涯 張譲は霊帝に取り入って宦官勢力の中心となり、同僚の趙忠らとともに十...
一 まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后と共に、永安宮の幽居に深く閉じこめられたまま、春をむなしく、月にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。 董卓は、そこの衛兵に、 「監視を怠るな」と厳命しておいた...
一 何進の幕将で中軍の校尉袁紹は、何進の首を抱いて、 「おのれ」と、青鎖門を睨んだ。 同じ何進の部下、呉匡も、 「おぼえていろ」と、怒髪を逆だて、宮門に火を放つと五百の精兵を駆って、なだれこんだ。 「十常侍をみな...
霊帝(れいてい)とは、後漢末期の皇帝、劉宏(りゅうこう)のことです。 生涯 霊帝は、後漢の第12代皇帝で、即位した当時は若年でした。父は桓帝(かんてい)で、死後に皇后の甄氏(しんし)の子として擁立されました。彼の治世(168年〜...
一 百官の拝礼が終って、 「新帝万歳」の声が、喪の禁苑をゆるがすと共に、御林軍(近衛兵)を指揮する袁紹は、 「次には、陰謀の首魁蹇碩を血まつりにあげん」 と、剣を抜いて宣言した。 そしてみずから宮中を捜しまわっ...
一 時は、中平六年の夏だった。 洛陽宮のうちに、霊帝は重い病にかかられた。 帝は病の篤きを知られたか、 「何進をよべ」 と、病褥から仰せ出された。 大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺して...