冀北

冒頭
冀北(きほく)とは、後漢末から三国時代初頭にかけて、冀州を中心とする華北一帯のうち北方を指して用いられる地域名で、袁紹勢力の基盤として語られることが多い土地です。
 
概要
作中では「冀北の強国、袁紹」という言い方で、袁紹の支配圏そのものを冀北と総称する用法が見られます。 また曹操陣営の軍議では、荊州方面よりも「冀北四ヵ国」の方が厄介で、精兵と富財を擁する地として警戒されています。
 
歴史
官渡の戦い前後、曹操北方へ兵を向け「冀北征伐」を企図し、冀州領内へ攻勢を深めていきます。 袁紹の死後は、袁譚・袁煕袁尚らが各地で敗れて冀州へ退く状況が描かれ、冀北の支配は動揺します。 その後、曹操が旧袁紹領を掌握したのちも、遼西・遼東方面を押さえなければ「冀北、冀東の地も永久に治まるまい」として、周辺の異民族勢力や残党との関係が治安上の焦点となります。
 
関連人物
袁紹は冀北の代表的な支配者として位置づけられます。 その死後、袁譚・袁煕袁尚の兄弟が抗争しつつ曹操に対抗する構図が、冀北の帰趨を左右する要素として扱われます。 また曹操陣営では荀攸が冀北の脅威を論じ、攻略の優先度を説きます。
 
史実との違い
吉川三国志の「冀北」は行政区画名というより袁紹の華北支配圏をまとめて呼ぶ便宜的な地域名としての性格が強く、史料上の厳密な州郡名とは必ずしも一致しません。
「冀北」登場回数
合計: 13回
0 2 5 7 10 0 桃園の巻 1 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 10 孔明の巻 1 赤壁の巻 1 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約3時間前