富陽
富陽(ふよう)とは
歴史的背景
富陽は古来より銭塘江中流域の要地であり、稲作と水運で栄えた。三国時代には孫呉の支配領域に含まれ、江南経営の一角を担った。後世には文化人や画家に愛され、特に元代の黄公望による名画「富春山居図」の舞台として有名である。
関連する人物
「誰なのやら」 。 関羽も張飛も、見まもっていたが、ほどなく陣門の衛将が、名を糺すに答える声が、遠くながら聞えてきた。「これは呉郡富春(浙江省・富陽市)の産で、孫堅、字は文台という者です。古の孫子が末葉であります。官は下邳の丞ですが、このたび王軍、黄巾の賊徒を諸州に討つと承って、手飼いの兵千五百を率い、いささか年来の恩沢にむくゆべく、官軍のお味方たらんとして馳せ参じた者であります。
なにしろ、兵法で有名な孫子の末孫ですから」 。「孫子の末裔だと」 。「はい、呉郡富春(浙江省・富陽市)の産で、孫、名は堅、字は文台と申し、南方ではなかなか名の売れている男です」 。 と、李儒は、かねて聞き及んでいる彼の人がらについて、こんな話をした。 それは、孫堅が十七歳の頃のことである。