「咎められるな」 。 人民は恟々と、道をひらいて避けた。 その頃、并州の丁原、河内の太守王匡、東郡の喬瑁などと諸将がおくればせに先の詔書に依って上洛して来たが、董卓軍の有様を見て皆、なすことを知らなかった。 後軍の校尉鮑信は、ある時、袁紹に向ってそっとささやいた。「どうかしなければいかんでしょう。
自分は、陳宮字を公台という者です」 。「ご家族は」 。「この近くの東郡に住まっています。すぐそこへ参って、身支度を代え、すぐさま先へ急ぎましょう」 。 陳宮は、馬をひきだして、先に立った。
陳留の太守張邈 。 第七鎮 。 東郡の太守喬瑁 。 そのほか、済北の相、鮑信、字は允誠とか、西涼の馬騰とか、北平の公孫瓚とか、宇内の名将猛士の名は雲の如くで、袁紹の兵は到着順とあって、第十七鎮に配せられた。「自分も参加してよかった」 。
「君は今、何しているか」 。 曹操に訊かれると、陳宮は、すこし間が悪そうに、 。「東郡の従事という小役人を勤めています」と、答えた。 すると曹操は、皮肉な笑みをたたえながら、早くも相手の来意を読んでいた。「じゃあ、徐州の陶謙とは親しい間がらとみえるね。
廃墟となった禁門の井戸から、計らずも玉璽を拾った孫堅は孫堅で、珠を抱くと、たちまち心変りして、袁紹と烈しい喧嘩別れをして、即日、これも本国へさして急いでしまったが、途上、荊州の劉表に遮られて、その軍隊はさんざんな傷手をうけ、身をもって黄河を遁れ渡った時は――その一舟中に生き残っていた者、わずかに、程普と黄蓋などの旗本六、七人に過ぎなかったという――後日の沙汰であった。 そんな折も折。 東郡の喬瑁と、刺史劉岱とが、またぞろ洛陽の陣中、兵糧米の借り貸しか何かのつまらないことから喧嘩を起し、劉岱...