河南
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「河南」登場回数
合計: 69回「河南」が登場する場面
7件のら息子
関羽は、山賊の将たる彼が、いちいち自分に推服の声をもらしているので、どうして自分を知っているかと問いただした。 裴元紹は、答えて、 。「ここから二十里ほど先の臥牛山(河南省・開封附近)に、関西の周倉という人物が棲んでいます。板肋虬髯、左右の手によく千斤をあぐ――という豪傑ですが、この者が、将軍をお慕いしていることは、ひと通りではありません」 。「いかなる素姓の人か」 。
丞相旗
自分の浅慮を語るようなものだ」 。 程昱はひとり戒めた。 黎陽(河南省・浚県附近)――そこの対陣は思いのほか長期になった。 敵の袁紹と、八十余里を隔てたまま、互いに守るのみで、八月から十月までどっちからも積極的に出なかった。「はて、なぜだろう。
両虎競食の計
「近来、第一の歓びだ」と、いった。 士を愛すること、女を愛する以上であった曹操が、いかに徐晃を優遇したかいうまでもなかろう。 楊奉、韓暹のふたりは、奇襲を試みたが、徐晃は敵方へ走ってしまったし、所詮、勝ち目はないと見たので、南陽(河南省)へと落ちのび、そこの袁術を頼って行った。 ――かくて、帝の御車と、曹操の軍は、やがて許昌の都門へ着いた。 ここには、旧い宮門殿閣があるし、城下の町々も備わっている。
乱兆
見ればその人は、貌相魁偉胸ひろく双肩威風をたたえ、武芸抜群の勇将とは見られた。 これなん、漢の司徒袁安が孫、袁逢が子、袁紹であった。袁紹字は本初といい、汝南汝陽(河南省・淮河上流の北岸)の名門で門下に多数の吏事武将を輩出し、彼も現在は漢室の司隷校尉の職にあった。 袁紹は、昂然とのべた。「願わくば自分に精兵五千を授け給え。
五関突破
――おさらば、おさらば」 。 彼に従って、一山の僧衆もみな騎と車を見送っていた。かくて、夜の明けはなれる頃には、関羽はすでに、沂水関(河南省・洛陽郊外)をこえていた。 滎陽の太守王植は、すでに早打ちをうけとっていたが、門をひらいて、自身一行を出迎え、すこぶる鄭重に客舎へ案内した。 夕刻、使いがあって、 。
健啖天下一
次には、 。閣下がこの度、北平(河北省・満城附近)の征伐を思い立たれたご壮図に対しては、自分からも満腔の誠意をもって、ご必勝を祈るものであります。馬匹糧米など軍需の品々も、できる限り後方よりご援助しますから、河南には少しもご憂慮なく、一路北平の公孫瓚をご討伐あって万民安堵のため、いよいよ国家鎮護の大を成し遂げられんことを万祷しております。ただ、お詫びせねばならぬ一事は、不肖、守護の任にある許都の地も、何かと事繁く、秩序の維持上、兵を要しますので、折角ながら兵員をお貸しする儀だけは、ご希望に...
偽忠狼心
その迅速を競って。 一方―― 。 洛陽の都をあとに、黄馬に鞭をつづけ、日夜をわかたず、南へ南へと風の如く逃げてきた曹操は、早くも中牟県(河南省中牟・開封―鄭州の中間)――の附近までかかっていた。「待てっ」 。「馬をおりろ」 。