袁術公路

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袁術(えんじゅつ)公路(こうろ)とは
後漢末の群雄の一人。字(あざな)は公路。名門・汝南袁氏の出身で、袁紹の異母弟にあたる。
 
生涯
宦官や外戚が権力をふるう宮廷の混乱の中で頭角を現し、初めは後漢王朝の将軍として各地で勢力を拡大した。やがて寿春を拠点に淮南を支配し、一時は中原の有力群雄となった。
しかし野心が強く、ついに後漢の皇帝を否定して自ら「仲氏」と号して皇帝を僭称した。これにより天下から孤立し、曹操孫策劉備らとも敵対。やがて兵糧不足と人心の離反によって没落し、建安四年(199年)に寿春で病死した。
 
人物
奢侈を好み、虚栄心が強かったと伝えられる。才能よりも血筋を誇りとし、行動は軽率であったため、兄袁紹に比べると評価は低い。ただし、一定の兵力と財力を背景に一時は中原を脅かす存在でもあった。
 
関連する人物
袁紹(異母兄。河北を支配し、互いに競争した)
孫策(かつての配下で、後に反して江東を独立支配)
劉備袁術と対立し、やがて敵対)
曹操後漢王朝を奉じ、袁術の僭称を断罪した)
 
有名なエピソード
・自ら皇帝を名乗ったこと(僭号)。
呂布劉備との同盟と裏切りを繰り返したこと。
・最後は糧不足で「蜜水を飲みたい」と言って叶わず、渇きに苦しんで死んだという逸話。
 
吉川英治三国志』での扱い
吉川版では、袁術は虚栄心の強い小人物として描かれる。兄袁紹に比べて器量に欠け、民心を得られずに孤立していく姿が誇張されており、「自ら皇帝を名乗った愚か者」としての面が強調されている。
「袁術公路」の基本情報
総登場回数
205回
活動期間
6巻にわたって登場
初回登場
群星の巻
最終登場
望蜀の巻
最も活躍した巻
草莽の巻 (143回登場)
「袁術公路」登場回数
合計: 205回
0 35 71 107 143 0 桃園の巻 20 群星の巻 143 草莽の巻 38 臣道の巻 1 孔明の巻 2 赤壁の巻 1 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約1ヶ月前