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New Word陳大夫
一 酒宴のうちに、曹操は、陳登の人間を量り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。 陳登は、曹操にささやいた。 「呂布は元来、豺狼のような性質で、武勇こそ立ち優っていますが、真実の提携はできない人物です。――こういったら丞相は...
愚兄と賢弟
一 出稼ぎの遠征軍は、風のままにうごく。蝗のように移動してゆく。 近頃、風のたよりに聞くと、曹操の古巣の兗州には、呂布の配下の薛蘭と李封という二将がたて籠っているが、軍紀はすこぶるみだれ兵隊は城下で掠奪や悪事ばかり働いている...
火星と金星
一 曹操は、さらにこう奏上して、帝に誓った。 「生を国土にうけ、生を国恩に報ぜんとは、臣が日頃から抱いていた志です。今日、選ばれて、殿階の下に召され、大命を拝受するとは、本望これに越したことはありません。――不肖、旗下の精兵二...
空腹・満腹
一 ――一時、この寿春を捨て、本城をほかへ遷されては。 と、いう楊大将の意見は、たとえ暫定的なものにせよ、ひどく悲観的であるが、袁術皇帝をはじめ、諸大将、誰あって、 「それは余りにも、消極策すぎはしないか」と、反対する者...
天颷_一
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
毒と毒
一 一銭を盗めば賊といわれるが、一国を奪れば、英雄と称せられる。 当時、長安の中央政府もいいかげんなものに違いなかったが、世の中の毀誉褒貶もまたおかしなものである。 曹操は、自分の根城だった兗州を失地し、その上、いなご...
天颷
天颷 一 董太師、郿塢へ還る。――と聞えたので、長安の大道は、拝跪する市民と、それを送る朝野の貴人で埋まっていた。 呂布は、家にあったが、 「はてな?」 窓を排して、街の空をながめていた。 「今日は、日も吉い...
馬騰と一族
一 龐統はその日から、副軍師中郎将に任ぜられた。 総軍の司令を兼ね、最高参謀府にあって、軍師孔明の片腕にもなるべき重職についたわけである。 建安十六年の初夏の頃。 魏の都へ向って、早馬を飛ばした細作(諜報員)は、...
胡弓夫人
一 張飛と関羽のふたりは、殿軍となって、二千余騎を県城の外にまとめ、 「この地を去る思い出に」 とばかり、呂布の兵を踏みやぶり、その部将の魏続、宋憲などに手痛い打撃を与えて、 「これで幾らか胸がすいた」と、先へ落ちて...
死活往来
一 城兵の士気は甦った。 孤立無援の中に、苦闘していた城兵は、思わぬ劉玄徳の来援に、幾たびも歓呼をあげてふるった。 老太守の陶謙は、「あの声を聞いて下さい」と、歓びにふるえながら、玄徳を上座に直すと、直ちに太守の佩印を...
生死一川
一 曹操は、見つけて、 「おのれ、あれなるは、たしかに呂布」と、さえぎる雑兵を蹴ちらして、呂布の立っている高地へ近づこうとしたが、董卓直参の李傕が、横合いの沢から一群を率いてどっと馳けおり、 「曹操を生擒れ」 「曹操を...
秘勅を縫う
一 禁苑の禽は啼いても、帝はお笑いにならない。 簾前に花は咲いても、帝のお唇は憂いをとじて語ろうともせぬ。 きょうも終日、帝は、禁中のご座所に、物思わしく暮しておわした。 三名の侍女が夕べの燭を点じて去る。 ...
大権転々
一 西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。 郿塢の城から敗走した大軍だった。 董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、 「伏して、赦を乞う」 ...
洛陽落日賦
一 味方の大捷に、曹操をはじめ、十八ヵ国の諸侯は本陣に雲集して、よろこびを動揺めかせていた。 そのうちに、討取った敵の首級何万を検し大坑へ葬った。 「この何万の首のうちに、一つの呂布の首がないのだけは、遺憾だな」 ...
巫女
一 「なに、無条件で和睦せよと。ばかをいい給え」 郭汜は、耳もかさない。 それのみか、不意に、兵に令を下して、楊彪について来た大臣以下宮人など、六十余人の者を一からげに縛ってしまった。 「これは乱暴だ。和議の媒介に参...
虎牢関
一 ――華雄討たれたり ――華雄軍崩れたり 敗報の早馬は、洛陽をおどろかせた。李粛は、仰天して、董相国に急を告げた。董卓も、色を失っていた。 「味方は、どう崩れたのだ」 「汜水関に逃げ帰っています」 「関を...
緑林の宮
一 楊奉の部下に、徐晃、字を公明と称ぶ勇士がある。 栗色の駿馬に乗り、大斧をふりかぶって、郭汜の人数を蹴ちらして来た。それに当る者は、ほとんど血煙と化して、満足な形骸も止めなかった。 郭汜の手勢を潰滅してしまうと楊奉は...
秋雨の頃
一 諸州の浪人の間で、 「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ...