李傕

李傕(りかく)とは
董卓の旧臣で四大将の一人。董卓滅亡後、西涼方面の敗兵を糾合して長安に復帰し、献帝のもとで車騎将軍・のち大司馬にまでのぼるが、同僚の郭汜と覇権を争い、都下を血で染める混乱の中心人物として描かれる。曹操と対峙した戦場でも名が挙がる、乱世の暴将の代表格である 。
 
生涯
董卓の敗走後、西涼で再編された軍の中核として、張済郭汜樊稠らとともに「赦を乞う」使者を立てるも王允に拒まれ、賈詡の策に従って長安へ殺到。結果として朝廷の実権を掌握するに至る 。献帝の眼前で官爵を強要し、李傕は車騎将軍に任ぜられたのち、のちに大司馬にも昇りつめる 。しかし郭汜との内戦が激化し、長安は日々「戦いが生活のように」荒廃、民も朝臣も多くが犠牲となる 。やがて賈詡の離反や兵の動揺で劣勢となり、献帝をめぐる主導権でも度々失態を演じる。帝の輦を奪ったのは李傕自身ではなく甥の李暹で、その護送中にも略奪にうつつを抜かす部隊の統制の低さが描かれている 。
 
人物
強権的で短気、面子と自尊心が先立つタイプとして語られる。帝の使者・皇甫酈に対して剣を突きつけ「帰れ、なお口を開けばこれを呑ませる」と怒号する場面は、威嚇と粗暴さを象徴する一幕である 。一方で、賈詡の諫言を容れず、策を嫌って力押しに傾く判断の粗さも致命傷となる 。
 
妻子や血縁
甥に李暹・李別がいる。とくに李暹は、李傕・郭汜の内戦のさなかに献帝と皇后を強引に輦へ移し、宮廷を離脱させた首謀者として登場する 。
 
関連する人物
董卓の旧臣仲間として郭汜張済樊稠と並び立ち、とりわけ郭汜とは同盟と反目を何度も繰り返す。郭汜の妻が「李司馬」の饗応を毒入りと見せかけて夫に疑心を植え付ける場面は、両者の関係悪化の転機として印象的だ 。また、賈詡は当初の軍師であったが、諫言を容れられずに去って以後、内側から李傕勢力を切り崩す策を献帝側に授ける 。
 
有名なエピソード
郭汜と対峙し、天子をめぐって「李傕御座を守護す」と正当化しながら槍を振るって突進する場面は、彼の居直りと武断を一挙に示す。楊彪が両軍を押しとどめるまで決着はつかず、長安騒乱の象徴的一騎打ちとなっている 。また、虎牢汜水関の抗争期には董卓直参として曹操を包囲し、「曹操を生け捕れ」と号令する場面も描かれる 。
 
有名なセリフと背景
郭汜に対し「笑うべきたわ言かな…李傕御座を守護してこれにあるのだ」と言い放つ一言は、帝を抱え込む行為を「護衛」と言い換えて正当化する彼の論法を鮮烈に物語る。内戦の最中、帝位を盾に権力を握ろうとする姿勢が端的に現れている 。
 
吉川英治三国志』での扱われ方
吉川版では、李傕は「成り上がりの暴臣」の典型として描線が濃く、民の怨嗟と都の荒廃を背景に、郭汜との泥沼の私闘を長く引きずる。賈詡の去就や兵の離反、帝の脱出劇などを通して、武断と猜疑が自壊を呼ぶ過程がドラマとして強調される 。
「李傕」の基本情報
総登場回数
84回
活動期間
4巻にわたって登場
初回登場
群星の巻
最終登場
望蜀の巻
最も活躍した巻
草莽の巻 (41回登場)
「李傕」登場回数
合計: 84回
0 10 20 30 41 0 桃園の巻 40 群星の巻 41 草莽の巻 2 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 1 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 28日前