濮陽
冒頭
概要
歴史
濮陽周辺では奇襲と反撃が重なり、城内が混乱し、寨の奪取と包囲が短時間に入れ替わるなど、城攻めの帰趨が流動します。
政治と民情
戦況が膠着する時期には、前線の小競り合いが続く一方で、蝗害が起こり百姓が苦しむ土地としても語られます。
関連人物
史実との違い
」 。 それからのことである。 兗州は兵乱の巷になり、虚を衝いて侵入した呂布の手勢は、曹操の本拠地を占領してから、さらに、勢いにのって、濮陽方面(河北省・開州)にまで兵乱をひろげていた。 × × × 。「不覚。
穴を出ない虎は狩れない。 曹操は、あらゆる策をめぐらして、呂布へ挑んだが、 。「もうその策には乗らない」と、彼は容易に、濮陽から出なかった。 そのくせ、前線と前線との、偵察兵や小部隊は日々夜々小ぜりあいをくり返していたが、戦いらしい戦いにもならず、といってこの地方が平穏にもならなかった。 いや、世の乱脈な兇相は、ひとりこの地方ばかりではない。
兗州の城は、そうして、曹操の手に還った。が、曹操は、 。「この勢いで濮陽も収めろ」と、呂布の根城へ逼った。 呂布の謀臣陳宮は、 。「出ては不利です」と、籠城をすすめたが、 。
張松は口を曲げて答えた。「聞説。魏の丞相曹操は、むかし濮陽に呂布を攻めて呂布にもてあそばれ、宛城に張繍と戦うて敗走し、また赤壁に周瑜を恐れ、華容に関羽に遭って泣訴して命を助かり、なおなお、近くは渭水潼関の合戦に、髯を切り、戦袍を捨てて辛くも逃げのがれ給いしとか。さるご名誉を持つ幕下の将士とあれば、たとい百万、二百万、挙げて西蜀に攻め来ろうとも、蜀の天嶮、蜀兵の勇、これをことごとく屠るに、なんの手間暇が要りましょうや。丞相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びにおいでください。