陽城
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「陽城」登場回数
合計: 27回「陽城」が登場する場面
7件一掴三城
」と疑っているところへ、またまた、襄陽からも早馬が飛んで来て、 。「時すでに遅しです。襄陽城中には、関羽の軍がいっぱいに入って、城頭高く、玄徳の旗をひるがえしている」と、報らせてきた。 周瑜が、その仔細を聞くと、こうであった。孔明は南郡の城を取るや否や、すぐ曹仁の兵符(印章)を持たせて人を荊州に派し、(南郡あやうし、すぐ救え)と云い送った。
乱兆
また、張譲その他の内官十三人を列侯に封じ、司空張温を大尉に昇せたりしたので、そういう機運に乗った者は、十常侍に媚びおもねって、さらに彼らの勢力を増長させた。 たまたま、忠諫をすすめ、真実をいう良臣は、みな獄に下されて、斬られたり毒殺されたりした。 従って宮廷の紊れは、あざむかず、民間に反映して、地方にふたたび黄巾賊の残党やら、新しい謀叛人が蜂起して、洛陽城下に天下の危機が聞えてきた。 この動乱と風雲の再発に、人の運命も波浪にもてあそばれる如く転変をきわめたが、たまたま、幸いしたのは、前年来...
功なき関羽
で、曹操は、都に帰るに際して、ふたたび曹仁へこう云い残した。「この一巻のうちに、こまごまと、計策を書いておいたから、もしこの城の守りがいよいよ危急に迫った時は、これを開いて、わが言となし、すべて巻中の策に従って籠城いたすがよい」 。 また、襄陽城の守備としては、夏侯惇をあとに留め、合淝地方は、ことに、重要な地とあって、それへは、張遼を守りに入れた。さらに楽進、李典の二名を副将としてそれに添えた。 こう万全な手配りをすまして、曹操はやがてここを去ったが、左右の大将も士卒もあらかた後の防ぎに...
春園走獣
それから彼は、日夜、大酒をあおって、禁中の宮内官といい、後宮の女官といい、気に入らぬ者は立ちどころに殺し、夜は天子の床に横たわって春眠をむさぼった。 或る日。 彼は陽城を出て、四頭立ての驢車に美人を大勢のせ、酔うた彼は、馭者の真似をしながら、城外の梅林の花ざかりを逍遥していた。 ところが、ちょうど村社の祭日だったので、なにも知らない農民の男女が晴れ着を飾って帰ってきた。 董相国は、それを見かけ、 。
柳眉剣簪
その後、玄徳の身辺に、一つの異変が生じた。それは、劉琦君の死であった。 故劉表の嫡子として、玄徳はあくまで琦君を立ててきたが、生来多病の劉琦は、ついに襄陽城中でまだ若いのに長逝した。 孔明はその葬儀委員長の任を済まして、荊州へ帰ってくると、すぐ玄徳へ求めた。「琦君の代りに、誰か、直ちに彼処の守りにおつかわし下さい」 。
死活往来
五。 ここ呂布は連戦連勝だ。 失意の漂泊をつづけていた一介の浪人は、またたちまち濮陽城の主だった。先に曹操を思うさま痛めつけて、城兵の士気はいやが上にも昂まっていた。「この土地に、田氏という旧家があります。
洛陽落日賦
「さわぐことはありません。相国、ここの天嶮は、伏兵をかくすに妙です」 。 李儒は、滎陽城のうしろの山岳を指さした。彼はいつも董卓の智慧嚢だった。彼の口が開くと、董卓はそれだけでも心が休まるふうに見えた。