蘭州
蘭州(らんしゅう)とは
歴史
漢代、蘭州の地は西域への玄関口として整備され、河西走廊を通じてシルクロードの要地となった。
地理と経済
また、軍事的には西方防衛の拠点として、異民族との戦いにおいて戦略的に不可欠な位置を占めた。
関連する人物
白皙秀眉、丹唇をむすんで、唯々として何進の警固についてはいるが、どうもその輦の中にある上官よりも典軍の一将校たる彼のほうが、もっと底の深い、もっと肚も黒い、そしてもっと器も大きな曲者ではなかろうかと見られた。 × × × 。 ここに、西涼(甘粛省・蘭州)の地にある董卓は、前に黄巾賊の討伐の際、その司令官ぶりは至って香しくなく、乱後、朝廷から罪を問われるところだったが、内官の十常侍一派をたくみに買収したので、不問に終ったのみか、かえって顕官の地位を占めて、今では西涼...
一。 西涼(甘粛省・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。 郿塢の城から敗走した大軍だった。 董卓の旧臣で、その四大将といわれる李傕、張済、郭汜、樊稠などは、連名して、使者を長安に上せ、 。
夏侯楙はひと支えもできなかった。父夏侯淵とは余りにも似ない貴族らしさを多分に持った彼とその幕下は、逃げ崩れてゆく姿まで絢爛だった。そして南安郡(甘粛省・蘭州の東)の城中へ入り、これへ諸方の大軍を吸って堅固を恃んだ。南安は著名な堅城である。日ならずして、続々これへ寄せてきた趙雲、関興、鄧芝、張苞などは、四方を囲んで力攻したが、昼夜十数日の喊声も、そこの石垣の石一つ揺がすことはできなかった。