郿塢山 地名 冒頭 郿塢山(びうざん)とは、長安から百余里の郊外にある「郿塢(びう)」一帯を指して呼ばれる地名で、董卓が別荘兼の堅城として大規模に築城し、兵糧・財宝・後宮を集積した拠点です。 概要 吉川三国志では郿塢は「山紫水明の地」とされ、王城に比する築城の内に殿舎楼台を建て連ね、兵糧を長期に貯え、天下の重宝を集め、美女八百余人を後宮に入れた場所として語られます。 歴史 董卓は郿塢を、事が成れば天下を望み、事成らざる時はここで老いを養うという退避と権勢誇示の拠点に位置づけました。 董卓死後、王允は「郿塢の城には董卓の一族と大軍がある」として掃討を図り、呂布らが兵を率いて郿塢へ向かいます。 さらに長安の混乱期、李傕らは献帝と皇后を郿塢城へ遷し、幽室に監禁したとも描かれ、郿塢は朝廷を押さえる拘束拠点としても機能します。 関連人物 董卓は郿塢へ帰還し、随行の兵馬をもって往来の通過を支配する形が示されます。 呂布は郿塢攻略後、城中で貂蝉の所在を捜して連れ出す場面があり、郿塢が董卓勢力の私的中枢でもあったことが補強されます。 また「郿塢街道」という表現で、長安から郿塢へ至る交通路が重要な移送経路として登場します。 史実との違い 吉川三国志では郿塢を王城級の城郭・蓄積を備えた拠点として強調して述べ、史実や演義での「董卓の築いた塢(とりで)」としての性格がより大規模に整理されています。 「郿塢山」登場回数 合計: 1回 0 0 0 0 1 0 桃園の巻 1 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻 「郿塢山」が登場する場面 2件 天颷_一 九十余歳の老媼は、上唇をふるわせて、むしろ悲しむが如く、天井を仰いだ。「あははは、張合いのないものだな」 。 董卓は、嘲りながら、濶歩して一室へかくれ、やがて盛装をこらして車に打乗り、数千の精兵に前後を護られて郿塢山を降って行った。一。 蜿蜒と行列はつづいた。 群星の巻 本文 三国志 天颷 九十余歳の老媼は、上唇をふるわせて、むしろ悲しむが如く、天井を仰いだ。「あははは、張合いのないものだな」 。 董卓は、嘲りながら、濶歩して一室へかくれ、やがて盛装をこらして車に打乗り、数千の精兵に前後を護られて郿塢山を降って行った。人間燈。一。 群星の巻 本文 三国志 「郿塢山」を全て検索