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New Word流行る童歌
一 驢は、北へ向いて歩いた。 鞍上の馬元義は、ときどき南を振り向いて、 「奴らはまだ追いついてこないがどうしたのだろう」と、つぶやいた。 彼の半月槍をかついで、驢の後からついてゆく手下の甘洪は、 「どこかで道を...
建寧
建寧(けんねい)とは、中国・後漢時代の元号のひとつです。 建寧は、後漢の第12代皇帝・霊帝(れいてい)の時代の元号で、西暦168年から172年までの期間を指します。霊帝は、宦官政治が横行し、政治の腐敗が極まった時代の皇帝であり、この...
秋風陣
一 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...
檻車
一 義はあっても、官爵はない。勇はあっても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこまでも、私兵としか扱われなかった。 (よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休むいとまもなく、(ここはも...
黄巾賊
一 後漢の建寧元年のころ。 今から約千七百八十年ほど前のことである。 一人の旅人があった。 腰に、一剣を佩いているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、眉は秀で、唇は紅く、とりわけ聡明そうな眸や、豊かな頬をしてい...
馬元義
馬元義(ばげんぎ)とは、三国志の物語の序盤、黄巾の乱に関連して名の出てくる人物です。 彼は張角(ちょうかく)の配下として活動した教団の一員で、黄巾党内部では重要な役割を担っていました。物語のはじめ、黄巾党の大規模な反乱が起ころうとす...
張角
張角(ちょうかく)とは、中国後漢末期に「黄巾の乱」の指導者として知られる人物です。 生涯 張角は後漢末期、幽州鉅鹿郡(現在の中国河北省一帯)出身とされ、兄弟に張宝・張梁がいます。彼は民間で道教的な宗教指導者として信仰を集め、「太...
転戦
一 それより前に、関羽は、玄徳の書をたずさえて、幽州涿郡(河北省・涿県)の大守劉焉のもとへ使いしていた。 太守劉焉は、何事かと、関羽を城館に入れて、庁堂で接見した。 関羽は、礼をほどこして後、 「太守には今、士を四...
張梁
張梁(ちょうりょう)とは、後漢末の中国で活動した宗教結社「太平道」の重要な指導者の一人です。 彼は黄巾の乱の指導者であり、特に三人兄弟のうちの一人としてその名が知られています。兄に張角(ちょうかく)、弟に張宝(ちょうほう)がいて、三...
義盟
一 桃園へ行ってみると、関羽と張飛のふたりは、近所の男を雇ってきて、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。 壇の四方には、笹竹を建て、清縄をめぐらして金紙銀箋の華をつらね、土製の白馬を贄にして天を祭り、烏牛を屠ったことにして、...
張飛卒
一 白馬は疎林の細道を西北へ向ってまっしぐらに駆けて行った。秋風に舞う木の葉は、鞍上の劉備と芙蓉の影を、征箭のようにかすめた。 やがて曠い野に出た。 野に出ても、二人の身をなお、箭うなりがかすめた。今度のは木の葉のそれ...
白芙蓉
一 それは約五十名ほどの賊の小隊であった。中に驢に乗っている二、三の賊将が鉄鞭を指して、何かいっていたように見えたが、やがて、馬元義の姿を見かけたか、寺のほうへ向って、一散に近づいてきた。 「やあ、李朱氾。遅かったじゃないか」...
張宝
張宝(ちょうほう)とは、後漢末期の中国に活動した人物で、特に「黄巾の乱」の指導者のひとりとして知られている。 生涯 張宝は、張角の弟で、もうひとりの兄弟とともに後漢末期の民衆反乱「黄巾の乱」を主導した。「天地を大いに乱す」という...