董卓は、剣を片手に、 。「今、李儒が読み上げた通り、帝は闇愚にして威儀なく、太后は教えにくらく母儀の賢がない。――依って今日より、現帝を弘農王とし、何太后は永安宮に押しこめ、代るに陳留王をもって、われらの皇帝として奉戴する」 。 いいながら、帝を玉座から引き降ろして、その璽綬を解き、北面して臣下の列の中へ無理に立たせた。 そして、泣き狂う何太后をも、即座にその后衣を剥いで、平衣とさせ、後列へしりぞけたので、群臣も思わず眼をおおうた。
一。 まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后と共に、永安宮の幽居に深く閉じこめられたまま、春をむなしく、月にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。 董卓は、そこの衛兵に、 。「監視を怠るな」と厳命しておいた。
と、深宮の破簾、ただこの人の傷心をつつんでいた。そのうちに、漢中で孔明に会った馬良が帰ってきて、孔明のことばを伝えたが、帝は、 。「今さらいっては愚痴になるが、丞相のことばに従っておれば、今日のような憂き目には立つまいに」と、いたく嘆いて、遠く彼を慕ったが、依然、成都帰還の事はなく、白帝城をあらためて永安宮とよんでいた。 その頃、蜀の水軍の将黄権が、魏に入って、曹丕に降ったという噂が聞えた。 蜀の側臣は、玄徳に告げて、 。
一。 この年四月頃から蜀帝玄徳は永安宮の客地に病んで、病状日々に篤かった。「いまは何刻か。」 。
そして目に余るほどな魏の大軍に反撃を加え、遂には、先を争って城外へ突出し、雍涼勢の新手をも粉砕して、数日の間に、さしもの敵を遠く退けてしまった。 けれど一難去ればまた一難。全城凱歌に沸き満ちているいとまもなく、永安城にある味方の李厳から計らずも意外な情報を急に告げてきた。
一。 永安城の李厳は、増産や運輸の任に当って、もっぱら戦争の後方経営に努め、いわゆる軍需相ともいうべき要職にある蜀の大官だった。 今その李厳から来た書簡を見ると、次のようなことが急告してある。近ゴロ聞ク東呉、人ヲシテ洛陽ニ入ラシム。
孔明は、拠るところの祁山へ兵を収めたが、勝ち軍に驕るなかれと、かえって全軍を戒めていた。そしていよいよ初志の目標にむかい、長安、洛陽へ一途進撃して、漢朝一統の大業を果さんものとかたく期していたが、ここに測らずも軍中の一些事から、やがて大きな蹉跌を来たすにいたった。 後方の増産運輸に力を入れていた李厳が、永安城から前線へ兵糧を送らせて来た。その奉行は都尉苟安という男だったが、酒好きのため、途中でだいぶ遊興に日を怠り、日限を十日余りも遅れてやっと祁山に着いた。「はて、なんと弁解しようか」 。