永安宮

冒頭
永安宮(えいあんきゅう)とは、吉川英治三国志』で、時期により二つの場所を指して用いられる宮殿名です。後漢末には董卓廃帝弘農王)と何太后を幽閉した洛陽宮中の一郭をいい 、蜀漢では夷陵敗戦後の劉備白帝城に退いてから同城を改めて称した宮号をいいます 。
 
概要
語としての永安宮は、皇帝・皇族の居所としての「宮」を示し、政変や敗戦などの政治的局面で登場しやすい呼称です。作品中では、洛陽永安宮が「幽居」として描かれ 、一方で蜀の永安宮は劉備の晩年の滞在地として、後事を託す舞台となります 。
 
歴史
洛陽では、董卓が帝位を廃して弘農王とし、何太后永安宮に押しこめたとされ 、その後、李儒永安宮へ赴いて処分を迫る展開が語られます 。
蜀では、劉備が呉に敗れ白帝城へ退いたのち、同城を永安宮と呼んだとされ 、章武三年四月、永安宮で孔明が臨終の劉備に面会し 、劉備は同宮中で崩じたと記されます 。
 
関連人物
洛陽永安宮では董卓李儒弘農王何太后が中心となります 。蜀の永安宮では劉備玄徳)・諸葛亮孔明)・劉禅が主要人物で、劉禅劉備の遺詔を奉じる立場として後段に関わります 。
 
史実との違い
吉川三国志では、蜀の永安宮を「白帝城をあらためて永安宮とよんでいた」と明示して扱いますが 、宮号・地名の運用は史料や演義での表記揺れがあり、作品は物語上の呼称を整理して用いています。
「永安宮」登場回数
合計: 7回
0 1 2 3 4 3 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 4 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約6時間前