夜もまだ明けないうちに、二人はまた、その東郡をも後にすてて、ひた急ぎに、落ちて行った。 それから三日目―― 。 日夜わかたず駆け通してきた二人は、成皐(河南省・滎陽附近)のあたりをさまよっていた。「今日も暮れましたなあ」 。「もうこの辺までくれば大丈夫だ。
× × × 。 一方―― 。 帝の車駕をはじめおびただしい洛陽落ちの人数は、途中、行路の難に悩みながら、滎陽まで来て、ひと息ついていた所へ、早くも、 。「曹操の軍が追ってきた」 。 との諜報に、色を失って、帝をめぐる女子たちの車からは悲しげな嗚咽さえ洩れた。
「ぜひもありません。かくなる上は、お命こそ大事です。ひとまず麓の滎陽まで引退がった上となさい」 。 夏侯淵は、わずか二千の残兵を擁して踏みとどまり、曹操に五百騎ほど守護の兵をつけて、 。「早く、早く」と促した。
それから老翁はことごとく関羽に心服して自分の小斎に招き、身の上などうちあけた。この老翁は胡華といって、桓帝のころ議郎まで勤めたことのある隠士だった。「わしの愚息は、胡班といって、いま滎陽の太守王植の従事官をしています。やがてその道もお通りになるでしょうから、ぜひ訪ねてやってください」と、自分の息子へ、紹介状をしたためて、あくる朝、二夫人の車が立つ折、関羽の手にそれを渡していた。
彼に従って、一山の僧衆もみな騎と車を見送っていた。かくて、夜の明けはなれる頃には、関羽はすでに、沂水関(河南省・洛陽郊外)をこえていた。 滎陽の太守王植は、すでに早打ちをうけとっていたが、門をひらいて、自身一行を出迎え、すこぶる鄭重に客舎へ案内した。 夕刻、使いがあって、 。「いささか、小宴を設けて、将軍の旅愁をおなぐさめいたしたいと、主人王植が申されますが」 。
いと粗末ではあったが、形ばかりの祭事を行って後、諸侯は連れ立って、今は面影もなくなり果てた禁門の遠方此方を、感慨に打たれながら見廻った。 そこへ、 。「滎陽の山地で、曹操の軍は、敵のため殲滅的な敗北をとげ、曹操はわずかな旗下に守られて河内へ落ちて行った――」 。 という報らせが入った。 諸侯は、顔見合わせて、 。