冒頭 破邪攘魔(はじゃじょうま)とは、邪悪なものを打ち破り、魔性のはたらきをしりぞけることを指す語です。宗教的・呪術的な文脈では、祈祷や法具などによって災厄や妖術の効力を断つ趣旨で用いられます。 概要 「破邪」は邪を...
冒頭 鉄門峡(てつもんきょう)とは、山々が峡道の両側に鉄の門のようにそびえ立ち、通路が一筋に絞られる険しい峡谷の要害です。作中では黄巾賊の張宝が山谷の奥に拠って官軍の進撃を阻む地点として示されます。 概要 寄手にとっ...
冒頭 大方師(だいほうし)とは、黄巾党において用いられた方師の位階称号の一つで、部将級の指揮者を指す呼び名です。大方・中方・小方は同系列の称で、術者・祈祷師としての方師であることと、その序列を同時に示します 。 概要 ...
冒頭 黄巾(こうきん)とは、後漢末に張角を中心に組織された反乱勢力およびその党兵の通称で、結髪を黄色い巾で包む風が全軍に広まり、党員の徽章となったことに由来します。 概要 黄巾勢力は各地へ急速に波及し、青州・幽州・徐...
冒頭 黄巾賊の乱(こうきんぞくのらん)とは、後漢末に張角を首魁とする黄巾党が各地で蜂起し、朝廷軍と大規模に衝突した内乱です。党兵が結髪のうしろに黄色の布を用いたことから黄巾賊と呼ばれます。 概要 黄巾党は張角を大賢良...
冒頭 太平道(たいへいどう)とは、後漢末に張角が太平要術にもとづく術と教えを掲げて人々を集めた宗教的結社で、黄巾党の母体となった教団です。張角が山中で南華老仙から三巻の書太平要術を授けられ、天下の塗炭を救い道を興すよう諭された...
冒頭 黄巾軍(こうきんぐん)とは、後漢末に張角三兄弟を中心として各地の民衆を糾合し、黄色い頭巾や黄旗を標識として蜂起した反乱勢力です。張角が結髪を黄色い巾で包んだ風が党内に広まり、いつしか徽章となった由来が語られます 概要 ...
冒頭 黄巾党(こうきんとう)とは、後漢末に張角を中心に組織され、黄色い頭巾や黄旗を標章として各地で蜂起した武装集団です。張角が結髪を黄色い巾で包んだ風が全軍に広まり、党員の徽章となったことが起源として語られます 。 概要 作...
冒頭 地公将軍(ちこうしょうぐん)とは、黄巾党において張角の弟である張宝に与えられた尊称で、天・地の公を掲げる教団的軍制の中枢を示す称号です。 概要 黄巾党は張角を大賢良師と称し、その二人の弟である張梁・張宝をそれぞれ天公将...
冒頭 天公将軍(てんこうしょうぐん)とは、黄巾党において張角の弟である張梁に与えられた尊称で、宗教的権威と軍事的指揮権を結びつけるための称号です。 概要 黄巾党は張角が「大賢良師」を称して教団的組織を広げ、配下を方(...
冒頭 大賢良師(だいけんりょうし)とは、黄巾党の首領である張角に与えられた最高位の尊称で、宗教的指導者と政治的首魁の両面を示す称号です。張角は自らこの称号を掲げ、組織の頂点に君臨しました。 概要 吉川英治『三国志』で...
冒頭 黄巾の乱(こうきんのらん)とは、後漢末に張角三兄弟を首魁として起こった大規模な反乱で、宗教的結社を基盤に各州へ急速に拡大し、朝廷の権威と地方秩序を動揺させた内乱です。張角は「大賢良師」と称され、党徒は結髪に黄色い巾を巻く...
広宗(こうそう)とは、後漢末の冀州・鉅鹿郡に属した城邑・県の名であり、黄巾の乱における決定的会戦の舞台として、三国志世界の入口を開く地です。 歴史 黄巾の乱の最終局面で、広宗は張角の弟・張梁、そして天公将軍張角に代わる実戦指揮官...
韓忠(かんちゅう)とは 韓忠は、後漢末期の黄巾賊の将の一人である。黄巾討伐戦で官軍と戦った人物。 生涯 韓忠は黄巾の乱において張角の配下として活動し、各地で蜂起した賊軍の将帥の一人に数えられる。官軍との戦いで討伐対象...
鄧茂(とうも)とは 鄧茂は、後漢末期の黄巾の乱において張角の弟である張梁の部下として登場する人物である。『三国志演義』や吉川英治『三国志』に登場するが、正史の『三国志』(陳寿著)にはほとんど記録がない。 生涯 鄧茂は...
一 驢は、北へ向いて歩いた。 鞍上の馬元義は、ときどき南を振り向いて、 「奴らはまだ追いついてこないがどうしたのだろう」と、つぶやいた。 彼の半月槍をかついで、驢の後からついてゆく手下の甘洪は、 「どこかで道を...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...
一 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...
一 後漢の建寧元年のころ。 今から約千七百八十年ほど前のことである。 一人の旅人があった。 腰に、一剣を佩いているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、眉は秀で、唇は紅く、とりわけ聡明そうな眸や、豊かな頬をしてい...
一 船が北の岸につくと、また車を陸地に揚げ、簾を垂れて二夫人をかくし、ふたたび蕭々の風と渺々の草原をぬう旅はつづいてゆく。 そうした幾日目かである。 彼方からひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたき...
張角(ちょうかく)とは、中国後漢末期に「黄巾の乱」の指導者として知られる人物です。 生涯 張角は後漢末期、幽州鉅鹿郡(現在の中国河北省一帯)出身とされ、兄弟に張宝・張梁がいます。彼は民間で道教的な宗教指導者として信仰を集め、「太...
一 それより前に、関羽は、玄徳の書をたずさえて、幽州涿郡(河北省・涿県)の大守劉焉のもとへ使いしていた。 太守劉焉は、何事かと、関羽を城館に入れて、庁堂で接見した。 関羽は、礼をほどこして後、 「太守には今、士を四...
張梁(ちょうりょう)とは、後漢末の中国で活動した宗教結社「太平道」の重要な指導者の一人です。 彼は黄巾の乱の指導者であり、特に三人兄弟のうちの一人としてその名が知られています。兄に張角(ちょうかく)、弟に張宝(ちょうほう)がいて、三...
張宝(ちょうほう)とは、後漢末期の中国に活動した人物で、特に「黄巾の乱」の指導者のひとりとして知られている。 生涯 張宝は、張角の弟で、もうひとりの兄弟とともに後漢末期の民衆反乱「黄巾の乱」を主導した。「天地を大いに乱す」という...