冒頭 楚城(そじょう)とは、春秋時代の楚(そこく)に属する城邑で、楚の荘王(そうおう)が武功の将をねぎらって宴を催した場所として語られる地名です。 概要 作中では、董卓が呂布を処断しようとする怒りを抑えるため、李儒が...
冒頭 董太師(とうたいし)とは、後漢末に「太師」の官位にあって朝廷を圧し、長安政権の実権を握った董卓(とうたく)を、作中で呼ぶ敬称です。王允(おういん)が「巳の刻に、董太師がお越しになる」と来訪を告げるように、外形上は国家の元...
冒頭 太政相国(だいじょうしょうこく)とは、相国という宰相職を、太政の語で装い立てて最高位の政治的権威として示すための称号です。吉川英治『三国志』では、董卓が天子を擁して後見の立場を自任し、諸大臣の上位に立つことを誇示する呼び...
冒頭 滎陽城(けいようじょう)とは、後漢末に洛陽と関中方面(長安)を結ぶ交通路上にある滎陽の城で、遷都や追撃戦の要点となった城塞です。董卓が洛陽を捨てて西へ退く途上、帝の車駕を伴う一行が滎陽まで来て足を止め、追撃への備えを整え...
冒頭 宮内官(きゅうだいかん)とは、皇帝の宮中や内廷に属して政務・近侍・伝達・警衛などに当たる官人を、広く指す呼び名です。吉川英治『三国志』では、宮中に出入りし得る官職層として描かれ、外朝の官僚や将軍とは別に、禁中の意思決定や...
冒頭 遷都(せんと)とは、王朝の都を別の地へ移すことです。 概要 吉川英治『三国志』では、遷都は単なる行政上の移転ではなく、天子の所在を握って政権の正統性と実権を掌握するための政治行為として現れます。都は宮殿・官衙・...
冒頭 丞相府(じょうしょうふ)とは、丞相が政務を執り、配下の官吏が出仕して行政・軍事の実務を処理する官庁兼居所のことです。 概要 丞相は皇帝を補佐する最高位級の官職で、丞相府はその執務の中心となる施設を指します。府に...
冒頭 董相国(とうしょうこく)とは、後漢末に朝廷の実権を握った董卓(とうたく)が自ら称した相国の官位にもとづく呼称です。董卓は天子を擁して後見を任じ、諸大臣の上位に立つものとして太政相国を名のり、宮門の出入りにも大きな威容を伴...
冒頭 永安宮(えいあんきゅう)とは、吉川英治『三国志』で、時期により二つの場所を指して用いられる宮殿名です。後漢末には董卓が廃帝(弘農王)と何太后を幽閉した洛陽の宮中の一郭をいい 、蜀漢では夷陵敗戦後の劉備が白帝城に退いてから...
冒頭 弘農王(こうのうおう)とは、後漢の皇帝であった少帝(劉弁)が董卓の廃立によって皇位を追われ、王号として改められた称号です。董卓は「現帝を弘農王とし、…代るに陳留王をもって、われらの皇帝として奉戴する」と宣して少帝を玉座から引...
冒頭 孝霊皇帝(こうれいこうてい)とは、後漢の皇帝である霊帝を、死後に追号して呼ぶための諡号です。作中では、董卓が皇帝廃立を進める際に読み上げさせる策文の冒頭で「孝霊皇帝」と掲げられ、先帝として言及されます。 生涯 ...
呂布(りょふ) 冒頭 呂布(りょふ)とは、後漢末の武将で、字は奉先とされ、方天戟を手に赤兎馬を駆って戦場で名を知られた人物です。丁原の養子として登場し、のち董卓の配下に入ってその護衛の中核を担います。 生涯 五原郡...
冒頭 温明園(おんめいえん)とは、後漢王朝の都に属する宮苑の一つとして語られる園地で、宮廷の饗宴や集会の場として用いられる施設です。吉川英治『三国志』では、董卓が朝廷の文武百官を招いて大宴会を開く舞台として登場します。 概要...
冒頭 洛陽城(らくようじょう)とは、後漢王朝の都洛陽を中心とする宮城・官衙・城門街を含む城郭都市で、三国志世界における中央権力の象徴となる場所です。 概要 洛陽は「王城の府」として人口・物資・文化が集積し、宮城を軸に...
冒頭 虎牢関の戦い(ころうかんのたたかい)とは、董卓が洛陽の南方にある要害虎牢関を拠点に諸侯連合軍の進撃を阻み、先鋒の呂布が関外で迎え撃った一連の会戦です。虎牢関は洛陽から南へ五十余里の天険で、ここに大軍を置けば諸侯は通路を失...
冒頭 嘉徳殿(かとくでん)とは、後漢の都洛陽の宮城にあった殿舎名で、皇帝が百官を集めて政務や儀式を行う場として扱われる建物です。何進が「天子…嘉徳殿において、崩御」と告げるように、霊帝の崩御の場所としても語られます。 概要 ...
冒頭 弁皇子(べんおうじ)とは、後漢の霊帝の皇子で、何后(のち何太后)が生んだ皇子です。外戚としての何進が権勢を得る背景ともなり、宮廷の後継争いの焦点となりました。 生涯 霊帝の病が重くなると、宮中では弁皇子と、王美...
冒頭 美人計(びじんけい)とは、美女を介して相手の情欲や嫉妬を利用し、内部不和を起こして勢力を崩す謀略です。 概要 武力や正面対決では突破しがたい相手に対し、色恋や寵愛を突破口にして警戒を緩めさせたり、有力者同士を疑...
旗本(はたもと)とは もともとは「旗のもとに仕える者」の意味で、主将の直属の精鋭部隊や近習の将兵を指す言葉である。戦場では主君の旗を守り、最も信頼される近衛的な役割を担った。 三国志における用例 吉川英治『三国志』では、各陣営の...
李儒(りじゅ)とは 後漢末に董卓に仕えた謀臣で、その冷酷さと智謀で知られる。董卓政権の黒幕的存在として、朝廷を震え上がらせた。 生涯 李儒はもともと学識豊かな士人であったが、董卓に見いだされ、参謀として取り立てられた...
陳留王(ちんりゅうおう)とは 後漢末において霊帝の子で、のちの献帝劉協を指す称号。霊帝の崩御後、董卓によって少帝弁が廃され、弟であった劉協が「陳留王」から皇帝に擁立された。 生涯 劉協は霊帝の子で、幼少のころから聡明...
一 遷都以後、日を経るに従って、長安の都は、おいおいに王城街の繁華を呈し、秩序も大いにあらたまって来た。 董卓の豪勢なることは、ここへ遷ってからも、相変らずだった。 彼は、天子を擁して、天子の後見をもって任じ、位は諸大...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...
一 その後、日を経て、董卓の病もすっかりよくなった。 彼はまた、その肥大強健な体に驕るかのように、日夜貂蝉と遊楽して、帳裡の痴夢に飽くことを知らなかった。 呂布も、その後は、以前よりはやや無口にはなったが、日々精勤して...
一 まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后と共に、永安宮の幽居に深く閉じこめられたまま、春をむなしく、月にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。 董卓は、そこの衛兵に、 「監視を怠るな」と厳命しておいた...