董相国

冒頭
相国(とうしょうこく)とは、後漢末に朝廷の実権を握った董卓(とうたく)が自ら称した相国の官位にもとづく呼称です。董卓天子を擁して後見を任じ、諸大臣の上位に立つものとして太政相国を名のり、宮門の出入りにも大きな威容を伴いました。
 
生涯
黄巾の乱の時期には将軍として官軍を率い、劉備関羽張飛らの義軍を「雑軍」として遇する場面が描かれます。 のち政権中枢では、弘農王何太后の処断を命じて李儒がその首を持ち帰るなど、禁中の人事と生殺を左右する立場にあります。
 
人物像
相国としては、遷都後の内政を優先しつつも、天子の詔を用いて関東袁紹公孫瓚勅使を遣わし、休戦と和睦を仲裁させるなど、朝廷権威の運用を図ります。 また陽城近郊では、農民を「見せしめ」に牛裂きに処すよう命じ、刺客伍俘の襲撃を受ける場面も見えます。
 
関係人物
李儒(りじゅ)は秘書官として進言や処断の実行に関与し、董卓に「相国」と呼びかけます。 呂布(りょふ)は相国府で側近として侍立し、曹操に馬を与える命を受けます。 王允(おういん)は董相国討伐の策に苦しみ、曹操(そうそう)は王允家伝来の七宝刀を借りて董相国刺殺を誓います。
 
有名なエピソード
天子の詔を得て馬日磾・趙岐を勅使として派遣し、盤河での袁紹公孫瓚の停戦を成立させます。 また、梅林の行楽の途中に農民を捕らえて牛裂きを命じ、その帰途に越騎校尉伍俘の襲撃を受けます。
 
史実との違い
吉川三国志では董卓が自ら太政相国を称して天子を擁し朝廷の上位に立つ姿が中心に据えられますが、史実・演義間では官職名や権力掌握の経緯、人物像の強調点に差異があります。
「董相国」登場回数
合計: 22回
0 2 5 7 10 10 桃園の巻 9 群星の巻 2 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 1 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約3時間前