西涼

西涼(せいりょう)とは
西涼は後漢時代の中国西部、現在の甘粛省・陝西省西部一帯を指す地域の呼称。西方の国境地帯であり、羌族など異民族との衝突が絶えなかった軍事的要地である。三国志においては、董卓馬騰韓遂といった群雄が拠点としたことで知られる。
 
歴史
後漢時代、西涼は辺境防衛のために多くの兵が駐屯し、戦乱が頻発する地域であった。羌族の反乱や外敵侵入に対応するため、歴代の将軍が派遣された。
やがて後漢末の混乱期に、董卓馬騰韓遂といった西涼出身の将軍が台頭し、中央政界に影響を及ぼすようになった。特に董卓霊帝死後、洛陽進軍して専横を振るい、後漢衰退の決定的要因となった。
 
地理と経済
西涼はシルクロードの通過点にあたり、交易による富を持つ一方で、農耕には厳しい自然条件の地でもあった。そのため騎馬民族との交流・戦闘が絶えず、武勇に優れた兵が多く育った。
 
関連する人物
董卓(西涼の出身。洛陽に進出して朝廷を掌握した)
馬騰(西涼の群雄。馬超の父)
韓遂(西涼の群雄。曹操と戦った)
馬超馬騰の子で、西涼騎兵を率いた名将)
 
吉川英治三国志での扱われ方
吉川英治三国志』では、西涼は「猛将の産地」として描かれ、董卓馬超らの背景を彩る重要な地域として扱われる。辺境の荒々しい風土が、彼らの剛勇さを育んだという描写がなされている。
「西涼」登場回数
合計: 119回
0 15 31 47 63 5 桃園の巻 10 群星の巻 1 草莽の巻 13 臣道の巻 0 孔明の巻 2 赤壁の巻 63 望蜀の巻 10 図南の巻 13 出師の巻 2 五丈原の巻
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